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1 JULY 2005
KEYPERSON
発端は欧米の利害対立
――日本における個人情報保護法の
制定は、先進国よりかなり遅れたよ
うですね。
「ヨーロッパは一九七〇年代から、
かなり体系的な個人情報保護の法律
を作っていました。 一方、アメリカ
は、個人情報やデータを処理する情
報産業が早くから発達していたため、
そういう観点から体系的な法律を作
りたがらなかった。 州ごとの裁判所
で判例をどんどん形成して個人情報
の保護措置を講じていました」
「ヨーロッパの側からすると、アメ
リカの企業に委託して個人情報の処
理をしてもらうわけですが、アメリカ
国内できちんとした法措置が取られ
ているのか不安があった。 このため当
時のヨーロッパの法律のなかには、個
護対策』を出しました。 その頃の日
本では行政改革の議論がずっと行わ
れていたこともあって、まず行政機
関が扱う個人情報について検討する
ことになり、八八年に『行政機関の
保有する個人情報保護の法律』が作
られました」
「つまり日本でも、行政機関に限っ
たものではあったけれど、個人情報
を保護する法律がこの時点でできた
わけです。 民間をどうするのかという
ことも盛んに議論したのですが、経
済界には、ヨーロッパ型の個人情報
保護法だと情報を十分に利用できな
くなるのではないかという懸念があっ
た。 監督官庁も同じような懸念を示
しました」
「そこで民間については、省庁ごと
にガイドラインで対応しようという話
になりました。 たとえば金融関係で
は、財団法人金融情報システムセン
ターが八七年にガイドラインを作っ
た。 これより早く検討を始めていた
通産省(当時)も、外郭団体が八九
年にガイドラインをまとめました。 こ
こには日本特有の行政指導というの
があり、業界団体に加盟している企
業はそこを通じて対応していったわ
けです」
行政指導の限界
――しかし業界団体に所属していな
い企業も少なくありません。
「そうしたアウトサイダーには行政
指導は及びません。 このため八五年
に、また別のかたちでガイドラインを
作りました。 当時の経済企画庁は国
民生活局で消費者行政をやっていた
ため、ここに研究会をつくり内外の
調査などを行ったんです。 そして八
八年くらいから国民生活審議会の消費者生活部会で検討を進めました」
「ただし、このときも経済界にヒヤ
リングをすると、自分たちは関係省
庁のガイドラインできちんと対応し
ている、法律を作るとかえって経済
発展に影響すると主張する。 このよ
うな経緯から九〇年代に入ってもな
かなか法律ができませんでした」
――それが、どうして今回の法制化
につながったのでしょう。
人情報の国外処理を制限するものま
で出てきました」
「こうしたことからヨーロッパとア
メリカの利害が対立し、七八年に喧
嘩を始めました。 その調整を委ねら
れたのがOECD(経済開発協力機
構)です。 これを受けてOECDの
理事会が、八〇年九月二三日に今日
では『プライバシー・ガイドライン
ズ』と呼ばれている勧告を採択しま
した。 ここで定められた八原則が、個
人情報保護の国際的な水準を示すも
のとして、その後、非常に重要な意
味を持つようになりました」
――当時の日本の状況は?
「OECDの勧告を受けて、日本で
も八一年から当時の行政管理庁が検
討をはじめました。 そして八二年に
は、同庁が設置した研究会が『個人
データの処理に伴うプライバシー保
中央大学法科大学院 堀部政男 教授
THEME 「
日
本
の
法
制
度
は
ま
だ
緩
い
」
日本における個人情報保護の法制化は、先進国より二〇年以上
遅れた。 日本人のプライバシー意識の希薄さの一方で、この国に
特有の行政指導が機能していたためだ。 現在、企業が公表してい
るプライベートポリシーにはあいまいなものが多い。 しかし法律
が成立した経緯を理解すれば、その危うさに気づくはずだ。
(聞き手・岡山宏之)
JULY 2005 2
「九五年にEUが『データ保護指令』
を出し、十分な保護措置を講じてい
ない第三国に個人データを送っては
ならないという規定を設けたりしは
じめたんです。 つまりEUからすると、
日本という第三国が、自分たちのレ
ベルで対策を取っているのかどうか
が問題になってきた」
「それで通産省のガイドラインを英
訳して紹介したりしたのですが、個
別分野ごとにやっていましたから、業
界によっては『そこにはない』と言わ
ざるをえない。 そういったことから、
改めて日本はどうするのかという話
になってきました」
――さらにIT社会の進展も今回の
法制化を後押したようですね。
「九〇年代半ばになると日本でも電
子商取引が盛んになってきました。 そ
こで九七年から高度情報化推進本部
(IT戦略本部の前身)が、電子商取
引等検討部会というのをスタートし
ました。 翌九八年九月に報告をまと
めたのですが、電子商取引を進める
ためにはプライバシーを保護する必
要がある、インターネットで住所・
氏名・年齢・クレジットカード番号
などを送信したときにきちんと保護
する仕組みが必要だ、といったこと
をずいぶん強調しました」
「九九年四月に高度情報化推進本部
がアクションプランを作り、その年度
内に個人情報保護に関する検討部会
を設けることを決めました。 ちょうど
当時の日本では、住民基本台帳ネッ
トワークシステムについての本格的
な審議がスタートしたばかりだったこ
ともあって、個人情報保護への関心
が高まっていましたからね」
「ヨーロッパに比べて日本で法律を
作るのが遅れた背景には、日本人全
般のプライバシーに対する意識が、ヨ
ーロッパに比べて相対的に低いとい
う事情もありました。 消費者団体な
どはある程度、個人情報保護法を作
れ、プライバシー法を作れと以前か
ら言ってきましたが、それが大きな力
にはなってこなかったのです」
日本の個人情報保護法は甘い
――四月に完全施行された日本の個
人情報保護法の内容は、国際的にみ
ると進んでいるのでしょうか、遅れて
いるのでしょうか?
「日本人の全体的な状況や、プライ
バシーとか個人情報に対する認識を
意識してできた法律ですから、ヨー
ロッパと比べれば、レベルが高いとは
言えません。 ようやく作ったというこ
とです」
――正直なところ、二五年前のOE
CDの基本原則をそのまま法律にし
たようにも思えました。 「まあ、そうですね。 ヨーロッパが
今後、どういう風に日本の法律を評
価するかまだ分かりませんが、関係
者と議論したり質問を受けている限
りでは高い評価はしません。 それで
いいのかという話はありますが、とに
かく日本でこういう法律ができたと
いうことの意味が大きいわけです」
――今回の法律では、民間が守るべ
き法律と、行政や独立行政法人が守
るべき法律が異なります。
「ヨーロッパではそこは一緒の法律
を作っていますから、八二年の段階
では、私も公的部門も民間も含めて
立法化したらどうかと言っていまし
た。 ところが、さきほど説明したよう
に、行政改革の流れのなかで、行政
の部分についてだけ先に法律を作る
ことになったんです」
――堀部先生が座長を務めた九九年
の個人情報保護検討部会では、民間
だけを対象とすることを前提に議論
をスタートしたのですか?
「我が国における個人情報保護シス
テムのあり方についてということです
から、民間だけが対象ではありませ
ん。 この検討部会が九九年十一月に
出した中間報告では、公的部門とし
ては八八年に作られた行政機関向け
の法律などの見直しを別途、検討す
る必要があると書いたわけですが、こ
の?見直し〞という言葉を入れるだ
けでも大変なことなんです。 関係省
庁があるわけですから」
「じゃあ民間についてはどうするの
かということで、全体を基本法でカ
バーし、あとは個別法と自主規制で
対応する。 それから表現の自由との
調整をはかると出したわけです。 民
間だけを対象とするのが検討部会の
目的ではありませんでしたから、中
間報告では全部ふれています」――その中間報告に基づいて法制化
委員会が組織されたわけですね。
「私が座長を務めた検討部会には、
経済団体から消費者団体までいろい
ろな立場の方が参加していました。 し
かし法律を作るとなると、専門家が
検討しなければならない。 そこで十
一月に中間報告を出したあと、内閣
総理大臣を含む全閣僚で構成されて
いる高度情報化社会推進本部で、こ
OECDのガイドライン
1 収集制限の原則
2 データ内容の原則
3 目的明確化の原則
4 利用制限の原則
5 安全保護の原則
6 公開の原則
7 個人参加の原則
8 責任の原則
(1980年)
勧告付属文書「国内適用における基本原則」より
出典『プライバシーと高度情報化社会』(岩波書店)
KEYPERSON
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の中間報告ついて説明しました」
「そこで法律の部分については別途、
検討して欲しいと言われ、個人情報
保護法制化専門委員会が二〇〇〇年
二月に発足しました。 同じ年の一〇
月に委員会が大綱をまとめ、この大
綱を元に翌二〇〇一年三月二七日に
法案ができたということです」
――一連の議論のなかで宅配や郵便
に使う住所データの扱いをどうする
といった話はなかったのですか?
「法制化委員会のなかで宅配の問題
は出ました。 ただね、この委員会で
は、何か議論を戦わせて結論を出す
ということはしていません」
――となると、法制化委員会と実際
にできる法案というのは、どういう関
係なのでしょう。
「検討部会でやっている段階では専
任スタッフは誰もいません。 みんな兼
務です。 それが法制化委員会のあた
りから担当室が設けられる。 このと
きは内閣官房の内閣内政審議室に個
人情報保護担当室が設けられて、以
降はここがずっと議論をフォローし
ていった。 委員会が二〇〇〇年一〇
月十一日に大綱を出したあとは、そ
の担当室が中心になって法案を作り
ました。 それが翌二〇〇一年三月に
閣議決定されたということです」
――検討部会の中間報告などでは、
「(個人情報)保護の必要性と利用面
等の有用性のバランス」を考慮すべ
きとしています。 ところが、いざ法案
が出てきたら、あらかじめ明示しな
い限り目的外利用は一切できないと
いう内容でした。
「ヨーロッパの法律には、個人情報
を集める段階で本人の同意を得ると
いうのが多いんです。 しかし日本で
そこまでやると情報の利用が難しく
なり、集めることができなくなってし
まう。 そこで集めること自体には本
人の同意を必要としないが、利用目
的をあらかじめできる限り特定しな
ければならないという十五条の規定
を設けた。 つまり、目的さえ明確に
しておけばいいという非常に緩い考
え方です」
重み増す住所データ
――ところで、個人情報のなかで住
所というのは、さほど神経質になる
べき情報ではないという認識で良い
のでしょうか?
「そんなことはありません。 いま市
町村から住民基本台帳の改正問題が
出てきています。 総務省が検討会を
やっていて、私は座長をやっていま
すが、現状では、住民基本台帳と選
挙人名簿というのはダイレクトメー
ルを自ら出すというときにも閲覧で
きます。 もう少し検討しなければ分
かりませんが、このあいだ議論をした
段階では、今後はそれを認めない方
向になっていくと思います」
――名簿販売業者の閲覧を許さない
ということですか。
「いや、『販売を目的とした名簿作
成のため』の閲覧は今でも許しては
いません。 ただし、現状でダメなのは
これだけです。 ここをどうしていくかは秋には結論を出します」
「それはさておき、ここで問題にな
っているのは氏名・住所・生年月日・
性別の四情報ですが、いまや自治体
も住所すら知られたくないというこ
とになってきた。 これまで住所ごとに
なっていた住民基本台帳を、住民の
アイウエオ順にするなどというところ
まで出てきているくらいです」
「というのも、今年三月に名古屋で、
音楽教室の案内とかいう目的で住民
基本台帳を閲覧して写し、そのとき
に母子家庭だけを抜き出し、その母
子家庭を襲って乱暴を働いたという
事件が起きたんです。 容疑者が逮捕
されて家宅捜索したところ、住民基
本台帳の閲覧に基づくメモが出てき
た。 この事件が住民基本台帳の改正
論議に大きな影響を与えました」
――なるほど。 そうしたデータだけで
も、危うい側面があるわけですね。
「いまや住所はデータとして非常に
重要な意味を持っています。 DV被
害(ドメスティック・バイオレンス)
だとか、ストーカーなどで、ある人が
警察などに届けられている場合、そ
して警察から市町村長に要請があっ
た場合には、市町村長はその人から
の閲覧を拒むことができるようにな
っています」
「つまり、これまではごく当たり前
に住民基本台帳で出していた氏名、住
所、性別、生年月日といった情報で
も、一方でそれが悪用されるケース
が出てくると、公開しているからこ
ういうことになるんだという議論が出
てくるわけです」
――見方を変えれば、住所データを
保有することの付加価値それだけ高
まっているわけですね。
「そういうことになります」
ほりべ・まさお1936年生まれ、62年
東京大学大学院修士課程(基礎法学)修
了、一橋大学教授・法学部長を経て、現
在は同大学法科大学院教授(一橋大学名
誉教授)。 99年7月に発足した「個人情
報保護検討部会」の座長を務め、2000
年2月からの「個人情報保護法制化専門
委員会」に常時出席するなど、この分野
の第一人者。 主な著書に『アクセス権と
は何か』(岩波書店1978年)、『現代のプ
ライバシー』(岩波書店80年)、『プライ
バシーと高度情報化社会』(岩波書店88
年)、『自治体情報法』(学陽書房94年)、
『インターネット社会と法』(編著・新世
社03年)など多数。
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