ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2007年4号
ケース
ビジネスモデルヤマトオートワークス

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2007 44 社長直轄の特命プロジェクト 「とにかくすぐに来てほしい」 二〇〇二年夏の某日。
ヤマト運輸の有富慶 二社長(当時、現・ヤマトホールディングス会長)は東京・銀座の本社会議室に三人の社 員を呼び寄せた。
そのうちの二人はヤマト運 輸の経営企画部のメンバー。
そしてもう一人 はヤマト商事の堀越克己社長(当時、現・ヤ マトオートワークス社長)だった。
今日はいったい何について話し合うつもり なのか。
事前に用件は一切伝えられていなか った。
経営トップの突然の招集に首を傾げな がら互いに顔を見合わす三人。
約束の時間に なって会議室に入ってきた有富社長は開口一 番、こう切り出した。
「あれだよ、あれ。
ホリさんが以前に出して くれた、あのレポート」 ホリさんこと、堀越社長が提出したレポー トとは、ヤマトが全国各地に配置する約六〇 カ所の自社トラック整備工場を本社から切り 離して子会社化するというもの。
従来、整備 工場はヤマトが保有するトラックのみを点 検・整備するコストセンターという位置付け だったが、これを外部のトラック運送会社か らも仕事を引き受ける体制に改めることで、 プロフィットセンター化していこう、という 内容だった。
整備部門を子会社化する目的は、ヤマト以 外からも業務を受託する外販に取り組ませる ことで、親会社に依存しない?稼げる子会社〞 としてグループ全体の収益力アップに貢献さ せること。
さらに既存の整備会社に遜色のな いコスト競争力を身につけさせて、相場より も二〇〜三〇%割高な水準にあったヤマト本 体の整備コストを低く抑えることにあった。
もともと堀越社長はヤマト本体で整備部門 を管轄する作業システム部の担当取締役を務 めていた。
レポートで提案した整備工場の子 会社化はその時代から温めていた構想だった。
取締役在任中に具現化するチャンスをうかが っていたものの、ヤマト商事への異動などが 重なったこともあって、そのアイデアは?お 蔵入り〞の状態となっていた。
有富社長が三人を集めたのはほかでもない。
堀越社長のアイデアがビジネスとして成り立 つのか。
それを再検討するためだ。
当時、ヤ マトには他社から「整備部門とジョイントしたい」や「整備のネットワークを買収したい」 といった打診が相次いでいたという。
それに よって改めて自社の整備部門の潜在価値を知 らされ有富社長は、かつて提案のあった企画 の存在を思い出した。
「本当に商売になるかどうか、もうちょっと 詳しく調べてみようか」 二時間に及ぶ協議を経て、四人の意見は一 致した。
早速、社長直轄の特命プロジェクト チームを立ち上げて、事業化調査に乗り出す ことになった。
チームのメンバーには、発案 者である堀越社長をリーダーに、宅急便関連 ビジネスモデル ヤマトオートワークス 業界の常識覆す新サービスの提供で 日本一のトラック整備会社を目指す ヤマト運輸グループのトラック整備会社。
365日24時間体制でトラックの点検・整備業務 を請け負うなど、既存の整備会社とは一線を画 した斬新なサービスで、急成長を遂げている。
売上高は2年で倍増。
すでに外販比率は35%に 達しているという。
45 APRIL 2007 サービスの開発を経験しているヤマト本体の 社員二人を加えた三人が選ばれた。
ユーザー軽視の整備業界 日本のトラック運送事業者は約六万社。
車 両保有台数は約一〇〇万台に達する。
このう ち大手はヤマトと同様、自社で整備工場を用 意しているケースが少なくない。
かつてトラ ック運送の事業免許は社内に整備部門を置く ことが取得条件の一つとなっていたからだ。
これに対して中小零細で整備工場を抱えて いるのは稀で、事業者の多くは点検・整備業 務を外注しているのが実情だ。
そしてこれま で中小零細の受け皿として整備市場を牛耳っ てきたのは国内トラックメーカー四社のディ ーラー系列にある整備会社だった。
単に外販を始めたところで、既存の整備会 社に比べ実績の乏しいヤマトに勝ち目はなか った。
後発組となる子会社が成功を収めるた めには、コスト低減を図って市場での価格競 争力を高めるのはもちろん、他社が真似ので きないサービスを新たに打ち出す必要があっ た。
そのヒントを探るため、プロジェクトチ ームではユーザーであるトラック運送会社に 対するヒアリング調査を実施。
整備サービス の現状について徹底的に調べ上げた。
その結果、ユーザーたちが既存の整備サー ビスに様々な不満を抱いていることがわかった。
とりわけ多かったのは「整備工場にトラ ックを預けてから戻ってくるまでに時間が掛 かりすぎる。
そもそも預けたトラックがいつ 戻ってくるのか。
納期さえ明確になっていな い」という声だった。
聞けば、リードタイム は平均で二〜三日。
遅い場合には一週間以上 待たされることも珍しくないという。
納期までに時間が掛かりすぎるのは、「平 日は午前八時から午後五時までで、土日祝祭 日は完全休業」といった具合に整備工場の稼 働時間が短いためだった。
ユーザーがどんな に急いでいようと、整備工場は終業のベルが 鳴ると同時に作業を打ち切ってしまう。
残り の作業は翌日に処理すればいい。
そんなユー ザー軽視の姿勢で日々の業務を遂行している 整備会社が少なくなかった。
もっとも、長ら く整備業界ではそれが常識とされてきた。
しかし、こうした商習慣はユーザーにとっ て迷惑な話だ。
ユーザーは整備工場にトラッ クを預けている間、代車を用意しなければな らない。
納期が予定より遅れれば、その分代 車の使用期間が延びてしまう。
結果としてコ スト負担増を強いられるからだ。
過剰整備に対する不信感も根強かった。
過 剰整備とは、例えば耐用期間が半年以上残っ ているにもかかわらず、前倒しで部品が新し いものに交換されることを指す。
過剰整備は 整備会社にとって料金の上乗せとなり収入増 につながる。
しかし、ユーザーにとってはム ダな費用にほかならなかった。
このようにユーザーたちが現行の整備サー ビスに必ずしも満足していないという実態を 把握したプロジェクトチームは、「ユーザー側 の視点に立って利便性の高いサービスを提供 できれば、既存の整備会社が相手でも十分に 戦っていける」(堀越社長)と確信した。
最 終的にチームが「勝算あり」と報告してきた のを受けて、ヤマトでは二〇〇三年一〇月に 堀越社長が率いるヤマト商事とヤマト本体の 整備部門を統合して「ヤマトオートワークス (以下、YAW)」を設立。
整備事業への本格 参入を決めた。
理想はF1のピットYAWが重点を置いたのはトラックを預か ってから点検・整備を済ませて納車するまで の?スピード〞を改善することだった。
ライ バルよりも短いリードタイムを実現できれば、 サービスの差別化につながるからだ。
もっと も、納期までの日数を一〜二日短縮する程度 ではインパクトに欠ける。
そこでYAWでは ユーザー側にとって負担となっていた代車コ ストを一切発生させない仕組みを目指した。
解決策は知恵を絞るまでもなかった。
整備 工場を三六五日二四時間体制で稼働させる。
ヤマトオートワークスの 堀越克己社長 APRIL 2007 46 ムダな出し入れをなく すことで作業時間を短 縮するのが狙いだ。
続いて作業のマニュ アル化に取り組んだ。
しかも単に点検・整備 の手順を文書化するだ けでなく、「部品Aの 交換は○×分で終え る」といった具合に、 すべての工程について 作業終了目標時間を設 定した。
従来は整備士 たちの個人技に頼って いたため、ベテランと 経験の浅い整備士では 作業スピードにバラツ キが生じてしまうとい う問題点があった。
さらに過去の点検結 果をデータ化して専用 端末に蓄積しておくよ うにした。
どの部品が どのタイミングで交換 の時期を迎えるのか。
その情報を基にして整 備工場ではトラックが 運び込まれる前に予め 必要となる部品をメー カーから調達しておく。
それだけだ。
これまでは整備工場の稼働が日 中に限定されていたため、ユーザーは代車の 確保を余儀なくされた。
これに対して、YA Wはその日業務を終えたトラックを夕方に預 かり、夜間に作業を行い、翌朝までにユーザ ーに戻す。
代車は不要になる。
ただし、稼働時間の延長だけでは不十分だ った。
限られた時間内で点検・整備作業を完 了させるためには、整備工場の作業生産性を 高めなければならなかった。
YAWの試算で は従来に比べ作業生産性を二倍に、言い換え ればこれまでの半分の時間で点検・整備を完 了できる体制を構築することが、「翌日納車」 の実現には欠かせなかった。
全国の整備工場から計七人の整備士を集め て特別チームを編成し、点検・整備の作業フ ローを全面的に見直すことにした。
チームが イメージした整備工場の理想的な姿はF1の ピットだった。
F1のピットでは給油班やタ イヤ交換班などがそれぞれの役割に応じて短 時間で正確に作業を済ませている。
F1のピ ットのように、動きにムダのない整備工場を 作り上げるにはどうすればいいのか。
整備の プロである七人が知恵を出し合った。
具体的な改善策として、まず整備工場内の レイアウトを刷新することにした。
従来は次 の作業工程に移る場合、トラックをいったん 後進させて別のゾーンに動かしていたが、こ れを?一筆書き〞で各工程が進んでいくよう に改めた。
トラックは最終工程まで前進のみ。
スーパーワークス東京工場。
「薄暗くて油くさい」という 従来の整備工場のイメージを一新。
ガラス壁の採用は有 富会長のアイデアだという 部品用のラック。
点検・整備 のスケジュールに合わせて作 業に必要な部品を事前にメー カーから調達している キャスター付き工具置き場。
使用頻度が高い工具を取り やすい位置に。
格納場所を 固定することで工具の紛失 を防止している 47 APRIL 2007 整備工場にトラックが入ったら、すぐに作業 に取り掛かれるようにするためだ。
以前は 「工場に入ってきたトラックを開いてみてか ら、足りない部品を取り寄せていたため、作 業の一時中断を余儀なくされ、納期遅れの原 因となっていた」(YAWの石垣朋子企画開 発マネージャー)。
こうした地道な改善を積み重ねていった結 果、従来に比べ作業時間を約二時間短縮する ことに成功し、「夕方預かり翌朝戻し」を実 現できる体制が整った。
YAWではリニュー アルした整備工場を「スーパーワークス」と 名付けて、二〇〇五年一〇月に第一号店を札 幌にオープン。
「代車要らずのスピード納車」 を売りに外販営業を本格化した。
二〇一二年に業界トップを目指す 整備業界の常識に逆らい、三六五日二四時 間体制でサービスを提供するというYAWの 戦略は見事に的中し、「スーパーワークス」に 点検・整備業務を委託するユーザーの数は日 を追うごとに増えていった。
札幌の第一号店 で好感触を掴んだYAWではその後、「スー パーワークス」の新設や既存工場の「スーパ ーワークス」化を順次進めてきた。
現在では その数が全国四カ所にまで拡大している。
ユーザーから支持されつつある様子はYA Wの業績推移からも窺い知ることができる。
YAWの売上高は二〇〇四年三月期が約一 〇六億円だったのに対し、二〇〇六年三月期 は約二六〇億円を確保した。
実に二年で約 二・五倍にまで拡大した計算だ。
間もなく数 字がまとまる二〇〇七年三月期も前年比大幅 増収を達成できる見通しだという。
それに伴い、グループ内での評価も高まりつつある。
「YAWは将来、大化けするかも しれない。
YAWのようにアイデアと工夫で 新サービスを作りだし、親会社から自立して 稼げる子会社をどんどん増やしていきたい。
YAWにはモデルケースとして他の子会社の お手本になってほしい」と有富会長は期待す を寄せる。
現在、YAWでは「485作戦」を展開し ている。
これはヤマト運輸グループから四万 台、外部から四万台の計八万台を受託するこ とで、現在三五%にとどまっている外販比率 を二〇〇七年度中に五割まで引き上げようと いうものだ。
YAWではこの目標をクリアす るためのユーザー囲い込み策の一環として、 点検・整備以外のサービスの拡充にも力を注 いでいる。
そのうちの一つが運送保険の販売だ。
日々 約四万台のトラックを動かしているヤマト運 輸グループのバイイングパワーを活かして、 市場価格よりも割安な料金設定となる保険商 品を損保会社と共同開発し、YAWに会員登 録しているユーザーに提供している。
同様に ユーザーはYAWを経由すれば、タイヤや燃 料といった消耗品もリーズナブルな値段で購 入できる。
トラック運送に付随する様々な業 務をサポートしていくことで、YAWの利用 価値を高めていこうという戦略だ。
本業である点検・整備サービスの利便性向 上にも余念がない。
YAWの作業員が直接ユ ーザーの拠点まで出向いて点検・整備を行う 「出張サービス」を強化するため、工具など を搭載する移動車の導入を進めている。
現在、移動車は全国で一八〇台が稼働している。
こ れを二〇〇七年度には二〇〇台まで増やす計 画だ。
一連の取り組みが奏功して、会員数は現在 四八五社まで拡大している。
「スタート当初 は中小零細のトラック運送会社が顧客層の中 心だったが、最近では全国展開する大手から の受託も徐々に増えつつある」と堀越社長。
YAWの中長期的な目標は二〇一二年までに 商用車分野の整備実績で業界トップに立つこ とだ。
具体的にはトラック二〇万台の囲い込 みを目指している。
( 刈屋大輔)

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