ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2007年4号
判断学
会社を見る眼

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2007 68 市場経済の主役――会社 会社をめぐる事件が次つぎと起こり、テレビや新聞がほと んど毎日のようにこれらの事件を詳しく報道している。
最近では日興コーディアルグループの不正会計、三洋電 機の粉飾決算やそれについての経営者の責任追及、あるい は関西電力の美浜原子力発電所の事故についての会社側の 責任などが大きな問題になっている。
またトヨタ自動車やキヤノンなど、いわゆる財界主流の大 企業について、その社会的責任が追及されている。
他方で はサッポロビールに対する投資ファンドの株買占め、そして これに対するアサヒビールやキリンビールの動きなどもマス コミの大きな話題になっている。
このような会社をめぐる事件が大きな話題になるのは、な にも今に始まったことではなく、以前からあったことである。
というのも現在の資本主義を支えているのは会社、より正 確には株式会社であり、市場経済を動かしているのは巨大 株式会社だからである。
そしてこれは日本に限られたことで はなく、アメリカはもちろんヨーロッパやアジアの他の国で も同じである。
私は四〇年も前から法人資本主義ということを唱えてい るが、これを英訳すればコーポレート・キャピタリズム、す なわち「会社資本主義」ということになる。
現に私が書いた 『法人資本主義』(朝日文庫)はイギリスのマクミラン社から 英訳が出版されており、そのタイトルは『コーポレート・キ ャピタリズム・イン・ジャパン』である。
コーポレーションというのは株式会社のことである。
それ を普通の人間、すなわち自然人と対比する意味で、あえて 私は法人資本主義と言ったのであるが、それは会社資本主 義、あるいは株式会社資本主義と言ってよい。
そこで法人としての会社が日本を支配し、それを動かして いるという意味で、あえて法人資本主義と表現したのである。
会社についての本 私は子供の頃から本が好きで、大きくなったら本を書きた い、というのが夢であったが、現在まですでに四〇数冊の本 を書いてきたし、今後も生命がある限り本を書き続けていく つもりだ。
本が好きなので、本屋で本を探すのが趣味になっ ており、これも中学生のころから現在まで続いている。
良い 本を見つければ嬉しくなるが、そうでないと気分が暗くなる。
そこで良い本を求めて本屋歩きをすると、その書店の店 頭にはトヨタ自動車や松下電器、あるいはソニーやキヤノン などに関する本がうずたかく積まれており、大きな書店には このような会社本のコーナーがある。
例えばトヨタ自動車についてだけみても、阿部和義の『ト ヨタモデル』(講談社現代新書)、J・ライカーの『ザ・トヨタウェイ(上・下)』『ザ・トヨタウェイ、実践編(上・下)』 (日経BP社)をはじめ一〇冊以上並んでいる。
ところがこれらの本はいずれも、いかにトヨタ自動車はす ばらしいかということを賛美したものばかりで、客観的にト ヨタ自動車という会社を分析した本ではない。
もっとも松下電器やダイエー、あるいは西武鉄道などにつ いては批判的に書かれた本もある。
しかしそれらは松下幸之 助や中内 、堤義明などについて批判的に書かれたもので あり、人物論であって会社論にはなっていない。
それというのも、これらの本を書いた著者には「会社を見 る眼」がなく、その視点が定まっていないからである。
そこ でおもしろく書こうとすれば人物論にならざるをえない。
一方、圧倒的に多い「会社本」の著者は、その会社から 資料を提供されて書いているか、あるいは宣伝のために書い ているから、初めから客観的に会社を見る眼がない。
そこで、これだけ会社が注目されているにもかかわらず、 それにこたえるに足る会社論が全くといってよい程ないとい う困った状態になっている。
会社がわからなければ経済はわからない。
それなのに会社そのものを解明す る客観的な会社論がないのはなぜだろうか? 経済学が行き詰まった最大の原 因はそこにある。
株式投資のための会社論ではなく、就職活動や宣伝のためで もない社会的視点に立った会社論が待ち望まれている。
69 APRIL 2007 会社を知らない経済学者 資本主義を支え、そして市場経済を動かしているのは巨 大株式会社である。
そこで当然のことながら資本主義を分 析し、市場経済を解明することを目的としている経済学者 は、この株式会社を正面から取り上げてそれを解明している はずである。
ところが驚いたことに、株式会社を正面から取り上げ、そ して体系的にそれを解明した経済学者はこれまでひとりとし ていなかった、と言ってもよい。
もっとも全くいなかったと 言えば言い過ぎで、たとえば『企業の理論』という本を書い たソースタイン・ヴェブレンなどがいた。
しかしこれは一九 〇四年に出た本で、一〇〇年以上も前のことである。
現代 の株式会社について解明した本はそれ以後出ていない。
経済学の教科書は、マクロ経済学とミクロ経済学にわか れ、一見したところ精緻な経済分析になっているようにみえ るが、肝心な経済の主役である会社について正面から分析 している者はいない。
それというのも、現代の経済学者は「会社を見る眼」が ないからである。
多くの経済学者は大学を出て大学院へ行 き、そこで外国の文献を読んで経済学の勉強をする。
そのた め実際に社会に出て会社というものに接したことがない。
か りに会社に就職してもすぐに辞めて大学院に入り、経済学 を勉強する。
このような経済学者が外国の理論を輸入して 大学で経済学を教えているのだから、そこでは「会社を見る 眼」がないのは当然である。
日本では森嶋通夫、宇沢弘文などによって経済学の危機 ということが叫ばれていたが、世界的にみても経済学は行き 詰まっている。
この経済学が行き詰まった最大の理由は経 済学者たちに「会社を見る眼」がなく、経済を動かしている 主役である会社を解明しようとしないからではないか。
「会社論よ、起これ!」と声を大にして叫びたい。
おくむら・ひろし1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『株のからくり』(平 凡社新書)。
株式投資のための会社評論 一方、日本の経済新聞や経済雑誌で大きなスペースを取 っているのが会社評論である。
「日本経済新聞」や「週刊東 洋経済」、あるいは「週刊ダイヤモンド」などは個々の会社 を取りあげて、その経理内容や業績見通しについて詳しく 書いている。
しかしこれらはほとんどが株式投資のための会社評論で、 客観的に、あるいは社会的視点に立って会社を評論しよう というものではない。
日本では、この株式投資のための会社評論が盛んである が、このような伝統は戦前からのものである。
一九五六年、鳩山一郎のあとに総理大臣になったものの、 病気のためわずか二カ月で首相を辞任した石橋湛山は戦前、 東洋経済新報社の記者をし、そしてのちに社長になった人 である。
湛山は『湛山回想』(岩波文庫)の中で、戦前から 「日本の会社評論は世界一である」と書いている。
なにより「東洋経済」や「ダイヤモンド」がこの会社評論 を盛んに取りあげた雑誌であったが、それは日本では株式投 資のために必要なデータが公表されていないから、そのため に会社評論が盛んになったのだと石橋湛山は言う。
株式投資のための会社評論はその業績見通しが中心にな り、客観的に、あるいは社会的に会社を見ようとするもので はない。
一方、戦後日本で盛んになったのが就職活動のための会 社情報である。
リクルートなどが開拓したこの分野の会社情 報はこれまた客観的な会社評論ではなく、学生の就職活動 のための手引きでしかない。
こうみてくると、日本では外国にみられないほど会社評論 が盛んであるが、いずれも特定の目的のために特定の人たち を対象にしたもので、客観的な会社評論ではなく、理論的 なものではないということができる。

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