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佐高 信
経済評論家
67 MARCH 2008
いまからちょうど一〇年前に出た田勢康弘
著『ジャーナリストの作法』(日本経済新聞社)
に、こう書いてある。
「志は高く、視線は市井の目から、と思いつ
つ、ぼくはいまもジャーナリストとして生きて
いる。 登り始めた山の頂はまだ遠く、いまなお、
道半ばである」
そして田勢は「凡庸でただ反骨が服を着て
いるだけのようなぼく」と続けているのだが、
わずか十年で、反骨精神どころか骨そのもの
を失い、下山して権力地獄にどっぷりとはま
ってしまった。
評判になった『政治ジャーナリズムの罪と罰』
(新潮社)で、田勢はこんなエラそうなことを
書いている。
「概してわが国の政治ジャーナリズムは上り
坂にあるものに対して甘い。 ときには卑屈で
さえある」
「日本のジャーナリストは、インタビューや
記者会見での質問が下手だ。 ジャーナリストに
とって、インタビューとは相手との一騎打ちの
勝負であるはずだ。 それが日本人にはできない」
こう言い切った田勢のインタビューは、では、
どうなのか?
ここに今年の『自由民主』新春特集号がある。
この自民党機関誌で、早大教授となった田勢
は総裁の福田康夫と対談している。 まったく
鋭さのない「卑屈」そのものの田勢の問いか
けと、緊張感のない福田の答えの一部を引く。
「総理大臣になられると、仕事が終わってお
宅へ帰られても、くつろいだりはできないも
んですか」
「窮屈なんですよ。 お客さんが来ると、誰が
来たか、何のために来たかという話になるで
しょ。 みんな、寄りつかないですよ。 夕食は
これまでほとんど家でしなかったんですけど
ね。 今はね、毎晩家に帰って食事をするんです。
女房が悲鳴をあげていますよ」
「お好きなワインを飲む時間はありますか」
「いやいや、それは本当になくなっちゃった
ですね」
田勢は「インタビューとは相手との一騎打
ちの勝負であるはず」と意気込んでいたはず
だが、まさに“気のぬけたビール”で、田勢
自身が、田勢が批判していた「日本のジャー
ナリスト」の典型になったとしか言いようが
ない。 人間堕ちるのは早いということか。
田勢は、福田康夫はどういう人かを聞かれ
ると、「ものすごく細かいことまでよく知っ
ているので、役人が一番やりにくそうだ」と
答えているらしいが、薬害肝炎患者に対する
不手際を見ても、福田は役人を押さえている
とはとてもいえない。
大体、“影の外相”と言われたほど、官房
長官時代は外務官僚の言いなりだったではな
いか。
最初から最後までナレアイに終始したこの
対談は、こんな調子で続く。
「総理になられてからのストレス解消法とい
うんですか、どうやって気分を変えておられ
るんですか」
「何もない。 せめて、田勢さんとよもや
ま話でもできれば一番いいんだけどね(笑)。
そういう道もふさがれているから、今は特に
ないですよ」
「落ち着いて小説を読んだりなんていう時
間も‥‥」
「そういう気分にはとてもならない」
田勢は『政治ジャーナリズムの罪と罰』に「変
わるための四箇条」を挙げている。
?権力をきちんとチェックできること
?事実を十分に検証できること
?かくあるべしという主張を掲げられること
?有権者や政治家を啓蒙するような報道や解
説記事を載せられること
自分を棚に上げれば、どんなことも言える。
私は『サンデー毎日』のコラムで、田原総一
朗や竹村健一と同じチョーチン屋になりさが
った田勢を軽蔑する、と切り捨てた。
取材は相手との一騎打ちと高言した田勢康弘
今や見る影もない著名ジャーナリストの堕落
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