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NOVEMBER 2005 72
我が軽トラ人生を振り返る
軽運送業者の“一人親方”には自営業者という側面が
ある。 その生い立ちから、どうしてもサラリーマンには
なりたくないと考えた筆者は、自営業人生に足を踏み入
れる手段として軽運送業を選んだ。 ワゴンタクシーの配
車係の経験を通して、緊急輸送は金になるという事実に
気付いたことがキッカケだった。
第3 回
サラリーマンはイヤだ
私は?貧乏長屋〞で育った。 ただし東京の下
町ではない。 私に言わせれば、東京の下町など、
むしろ豪華で立派。 そう思えてしまうような、関
東の外れの下町だ。 最寄り駅から徒歩だと三〇
分かかる。 バス路線もない。 ?陸の孤島〞と呼ぶ
にふさわしい、不便このうえない土地だった。
もちろん家庭にマイカーがあれば、駅まで一
〇分足らずで着く。 私が小学生の頃には、すで
にオイルショックも過ぎ、世間一般はマイカー
時代に突入していた。 同じ長屋に住む隣近所で
も、さすがにベンツこそ見なかったものの、軽乗
用車やら五ナンバーのカローラクラスなら、持
っているのが普通だった。
毎日、朝夕の通勤帰宅時間になると、駅前は
近所のお父さんがたや高校生が、母親の運転す
るマイカーで送迎される光景であふれていた。 と
ころが私にとってはマイカーでの送り迎えなど、
夢のまた夢だった。 というのも、私の父がマイ
カーはおろか、家計に金を入れないロクでなし
だったからだ。
特に冬は困った。 駅まで自転車で行くにも強
い北風が向かい風となって、なかなか前に進ま
ない。 私が自転車や徒歩で難儀しているその脇
を、友人や知人を乗せたマイカーが追い越して
いく。 何とかして欲しいと親に哀願しても、そ
んな余裕はないと門前払いだった。
一家の主である私の父は、本来なら貧乏では
ないはずの人だった。 父は某有名大学を卒業し
て某上場企業に勤務していた。 長屋では少数派
とも言える高給取りと言えた。 それなのに我が
家は長屋住まいでマイカーもなし。 その理由を
当時の父は「私は住まいや足=車には興味がな
い。 だから、そちらの方面に金をかけないだけ
だ」などと言い訳していた。
サラリーマン一筋の父は当時、残業も多かっ
たのだろうが、毎日が午前様の状態だった。 遠
路タクシーで帰宅するのが常だった。 そして必
ず酔って帰ってきた。 給料のかなりの額が、こ
れに消えた。 当然ながら、そのしわ寄せは家庭
の生活費に回る。
そんな父が私に向かって「お前も一生けんめ
い勉強しろ。 いい高校に行って、いい大学に行
って、いい会社に入ってサラリーマンになれば報われるぞ。 幸せになれるぞ。 だからそうしろ」
と言うのだった。
私の目の前には、実際にいい大学を出て、い
い上場企業に勤めている父がいた。 しかしその
子供である私は、そんな裕福なはずの父を持つ
にもかかわらず、周囲の誰よりも明らかに経済
的レベルが下だった。 サラリーマンになれば幸せ
になれるなんて絵空事だと、私は父の言葉に反
感を抱いた。 サラリーマンにはなりたくない。 サ
ラリーマンとして生きるのは不幸への道だと考
えるようなった。
思えばこのことが、私が軽トラという自営業
を選んだ、そもそもの原点だと思う。 そして私
が足=車というテーマについて、強くこだわる
ようになったキッカケでもあった。
73 NOVEMBER 2005
幸せのカギは「経費」にある
私は子供用の個室に自分専用のステレオやラ
ジカセ、テレビがあって当然の世代に属する。 実
際、中高生時代には友人宅へ行くと、必ずそう
した家電品を見かけた。 ところが私の部屋には
全くなかった。 私の部屋に来た友人には「お前
の部屋には、なんにも無いなあ」と、いつもバカ
にされた。
そんなある日、とある友人の部屋で?異変〞
が起きた。 当初、その友人の部屋には古いラジ
カセが一台あるだけだった。 それがいつの間にか
ステレオラジカセに変わり、一四インチテレビま
で加わるようになった。 私は彼に「アルバイトで
もしているのか」とたずねたが、「していない」と
言う。
その時だった。 彼の父親が突然、部屋に入っ
てきて、「オイ、ウォークマンが壊れたと言って
いたよな。 ホラ、コレ新しいヤツな」と、箱入り
の新品ウォークマンを友人に手渡した。 友人は
当たり前のような顔で、「いつものことだ」とい
う。 しかし私は猛烈に驚いた。 大げさにいえば
我が家とは全く逆の価値観と生き様を目の当た
りにした瞬間だった。
私は思わず、「おじさん、スゴイですねえ!
うらやましいですよ」と口に出してしまった。 す
ると「オレは自営業だから、買うとき領収書を
取っちゃえば、事実上、経費みたいなものだか
らねえ…。 へへへ…。 これで家族が幸せになれ
るならば、その方がいいよ」と言うのだった。 私
には、なんとも感動的な話だった。 涙が出るほ
ど羨ましかった。
この時の経験が、私を「経費」に敏感な高校
生に生まれ変わらせることになった。 サラリーマンに「経費」はない。 しかし自営業には「経費」
という?幸福に近いもの〞がある。 そんな匂い
を感じた。 「経費」とは、サラリーマンという生
き方の対岸にあるものであり、実家よりも幸せ
に、裕福になるためのカギだと心の底から思っ
たのだった。
フリーターから配車係へ
私は大学へ行きたいとは全く思わなかった。 高
校卒業後は、便利屋や古物会社など、今でいう
フリーターとしてアルバイトをいくつも経験した。
その後、正社員として仕事をしてみようと思い
立って、タクシーの配車センターで働くことに
なった。 お客さんからの電話を取って、無線マ
イクでタクシーに配車を指令するという仕事だ。
そんなある日、上司が私に言った。 「君はワゴ
ンタクシーを配車してくれ」。 当時、都内を走る
通常の乗用車タイプのタクシーの数は約五万台
と言われていた。 これに対してワゴンタイプのタ
クシーは約三〇〇台しかなかった。 このワゴン
タクシーは乗用車タイプのタクシーとは使われ
方にも違いがあった。
一般にワゴンタクシーは、海外旅行へ行く客
などを対象に「旅行トランクなど、かさばる荷
物も積めて、なおかつ人も乗れるタクシーです
よ」とアピールしている。 そのため申し込みの電
話を入れてくるのも、旅行トランクのある客の
空港への送り迎えがメーンになる。
そのほかに?妙な客〞がいた。 電話越しに開
口一番、「人間は乗らないんだけれど、急ぎの荷
物を一個だけ、今すぐ届けてほしい」という客。
あるいは「私は忙しいからタクシーには乗らない
が、パソコン一台を車に乗せて、今すぐ走って
届けてほしい」という話が少なくなかったのだ。
私をはじめタクシー配車センターのスタッフの
間では「へえ〜、そんなニーズもあるんだねえ」
と話題になっていた。
当時、タクシーの法人客で「後払いチケット」
を使っている会社が結構あった。 タクシーの配
車センターに電話しているくせに、人は乗らず
荷物だけ届けて欲しいと言う客には、後払いチ
ケットを使っている会社の関係者が多かった。 後
払いチケットを宅配便会社の送り状(運送伝票)
よろしく、自社の経理部あてに請求させる。 そ
れによって荷物の急送依頼をかける営業部員な
どが、運賃支払いの手続きから解放されて楽が
できるというわけだ。
いま思えば、軽運送業者でいうところの距離
制運賃によるスポット急送にうり二つである。 し
かし大方の利用客は、軽運送業者が距離制運賃
で直行配達してくれることなど知らないようだ
った。 なかには日頃は軽トラも含めて運送業者
を利用しているが、与えられていた予算枠をオ
ーバーしたので、貨物運賃とは別ジャンルの経
費である「タクシー代」を使って急送したいと
いう客もいた。
NOVEMBER 2005 74
そうした客が「ワゴンタクシーならば、できる
はずだよな」などと言って、依頼電話をかけて
くる。 それを真っ先に取り扱うのが、私の仕事
だった。 私が配車したワゴンタクシーの乗務員
は、納品後に通常は無線で終了報告をする。 と
きには、わざわざ電話を使って終了報告を入れ
てくる場合もある。 タクシー無線は、あまり遠
方には電波が到達しない。 届け先が地方の工業
団地などの場合には電話が多かった。
お金の匂いがする!
ある時、電話越しに乗務員が言った。 「いやあ
〜、日頃は人間を乗せているから神経を使うけ
れど、人を乗せないで、荷物だけ運ぶのはいい
ね。 荷物は口をきかないからねえ。 しかも届け
先の工場は郊外だったので、距離も出ましたよ。
おかげで四万円の水揚げです。 ありがとうござ
いました」なんて、喜びの声だ。 配車係の私は、
こんな話を電話越しや無線越しに何度も聞かさ
れた。 私は「こっちは安月給なのに、あいつら
は楽な割には儲けているようだ…」と思ったも
のだった。
ところで、タクシー乗務員は、仕事が無い時
など、無線で「ヒマだよ〜」と基地局(無線室)
へ?吠えてくる〞。 そして「電話がかかってきた
ら、オレに回してぇ〜」などと冗談も言う。 配
車係は客から依頼の電話を受けると、無線を一
斉に飛ばして即座に空車の募集をかける。 しか
し通常の乗用車タイプのタクシーは台数が多い
ため、先ほどのような冗談めいたことを言って
おいても、仕事にあたる確率は低い。
その一方で当時ワゴンタクシーは台数が少なかったため、仕事が振られる頻度も高かった。 実
際、ワゴンタクシーはしょっちゅう予約でいっぱ
いになった。 それ以上は配車のしようがない。 配
車係の私は依頼が来ても断るしかない。 すると
一部の客は、こちらが聞こうともしていないの
に、勝手にしゃべり出す。
「この部品の行き先(届け先)はお得意さんの会
社の製造ラインなんだ。 ラインが壊れて困って
いるんだ。 これが届かないとクレームになってし
まう。 だからたった一個だけなのだけど、急ぎで
届けて欲しいんだ。 何とかしてよ!」なんて言
ってくる。 しかし何を言われても、空車はない。
だから再度「お断りトーク」をする。
それでも「そこをなんとか」と食い下がる客
が珍しくないのだった。 三度目の「お断りトー
ク」にも食い下がる客へは、「軽運送屋さんでも
見つけて、そちらへ頼んで下さい。 うちは本来、
業種が違いますから!」と言って断った。 この
瞬間だった。 私は心の中で「あっコレだ。 金に
なるぞ」と感じたのだった。
商売には、受注するために突破しなければな
らない障壁がある。 客側の「判断の壁」である。
ところが、ワゴンタクシーで緊急輸送を依頼し
てくる客は、この壁を客が自ら瓦解させ、「ぜひ
頼みたい」と言い出している。 業者側である配
車係の私が断っているのに、客側は「それでも、
金を出すから是非お願いしたい」と言う。 必死
な法人客は、どうせ経費で落ちるからと考えて、
金を出す。
私はこの配車係の経験を通して、?「たとえ
同業者が多くても、他者がやっていないメニュ
ーを自分がやっていれば、?引く手あまた〞と化
すことがある」、もしくは?「たとえ同業者が多
くても、客から自分あてに、依頼電話が集中す
るよう仕組めば、自分は?引く手あまた〞にな
れる」ということに気付いたのだった。
この点を配車室の同僚に語った。 すると「お
前は、お金の匂いに敏感だねえ」と言われた。 こ
のときフト思った。 「もしかしたら、こうして客
との空気を読んで、お金の匂いを感じとる――そ
れが商売人の?才覚〞ってヤツかもな」。
その後、配車室スタッフのうち、退職したい
と感じ始め出した人々の間で、口々に「いざと
なったら軽運送屋があるさ」というのが合い言葉状態になった時期があった。 その合い言葉を
誰かが口に出すと、周りがうなずいて笑う。 「オ
レもそうするかなあ」と。 (次号に続く)
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