ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2011年11号
判断学
第114回 崩壊する株式会社制度

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 NOVEMBER 2011  64         株主有限責任の背理  資本主義が世界的に発展した最大の原因は株式会社にあると いってもよい。
もし株式会社という制度がなかったら、資本主 義がここまで発展することはなかったであろう。
 では株式会社のどこにその秘密があるのだろうか。
 それは全株主が有限責任だ、ということにある。
株式会社 が生まれるまでの会社形態としてはパートナーシップ(合名会 社)という制度があったが、そこでは出資者は全員が無限責任 を負っている。
 もし会社が倒産すれば、出資者は出資分がゼロになるだけで なく、個人の資産も差し押さえられるということになる。
そこ で合名会社の出資者は、会社が危険な事業に手を出すことを禁 止する。
 ところが、株式会社では会社が倒産した場合、出資分=株 券はタダの紙切れになるが、出資者=株主にはそれ以上の責任 がなく、個人の資産を差し押さえられるということはない。
 これがすなわち株式有限責任ということであり、これによっ て株式会社は危険な事業にも手を出すことができるということ になった。
 もし会社が倒産しても持っている株券がタダの紙切れになる だけであり、株主はそれ以上の責任を負わなくてよいというこ とであるのなら、それ以上の責任はいったい誰が負うのか?  東京電力はいうまでもなく株式会社であるが、福島第一原 発の事故による損害賠償で会社は巨額の負債を抱え、このまま では倒産のおそれがある。
 そこで原子力損害賠償支援機構を作って、国民の税金でそ れを負担するということになった。
ということは株主有限責任 のツケを国民にまわすということである。
 「そんな無茶なことがあるか」と怒るのが当然だが、しかし 今のところそのような怒りの声はあがっていない。
不思議な話 である。
     株式会社発展の秘密  株式会社の発生は一七世紀初めのオランダ東インド会社だ とされている。
しかし、これは株主総会もなく、議会の許可 によって生まれた特権的な会社であった。
 これに対して近代株式会社制度が確立したのは一九世紀半 ばである。
イギリスで初めて株式会社法が制定され、それが フランスやドイツ、アメリカ、そして日本にも波及していっ た。
そのイギリスで株式会社法が生まれる段階で議会で大き な論争が起こった。
 というのも、それまでの会社、すなわち合名会社では出資 者は全員が無限責任であった。
そのために会社が危険な事業 に手を出すことには出資者が断固として反対した。
 それが株式会社になると株主は全員が有限責任で、最後に 責任を持つ者がいないということになる。
 そのような危険な制度を認めることはできない、とJ・マ カロックを始め多くの人が反対し、議会でもめた。
 そこでJ・S・ミルはこう言った。
 「株式会社には株主が出資したカネが資産として存在して いる。
そこで株式会社と取引する人は、その資産を担保とし て考え、もし会社が倒産したら、その資産を差し押さえれば よいではないか」と。
 このミルの主張が採り入れられて、議会では株式会社法が 成立したのである。
 こうして近代株式会社制度がスタートしたのだが、いま日 本ではどうなっているか?  東京電力は巨額の損害賠償を会社で負担することができな い。
資産をすべて売却しても賠償することができない。
 そこで国民の税金でそれを負担するということになった のだが、それはまさにJ・マカロックが危惧していたことで、 だからそのような危険な株式会社制度など認めることはでき ないということになる。
 巨大化した株式会社が引き起こしたとてつもない災害。
し かし株主有限責任の株式会社には最後まで責任を負う者がい ない。
そのツケが国民に回されている。
第114回 崩壊する株式会社制度 65  NOVEMBER 2011         アメリカも日本に追随  もっとも、この問題は東京電力だけのことではない。
そ れ以前から、日本では株主有限責任の原理が崩れているの である。
 一九六五年の?証券恐慌?の際、田中角栄大蔵大臣は「山 一証券に対して日本銀行が無制限、無担保の特別融資をす る」と深夜の記者会見で発表した。
これは株主が責任を負 わないから、日銀がそれに代わって責任を負うというもので ある。
 その後、一九九〇年代になってバブル経済が崩壊するとと もに、政府は日本長期信用銀行や日本債券信用銀行を始め とする大銀行に公的資金を投入した。
これはすなわち国民 の税金でこれら大銀行を救済するというものであった。
 株主が有限責任であるから、残りは国民の税金で負担す るということであるが、これはまさに「株式会社の死」を 意味する。
日本ではこのようなことが行われていたにもか かわらず、これを株式会社制度の問題としては誰も議論し なかった(少なくとも筆者を除いて)。
 そして、この日本のやり方が欧米にも波及することになっ た。
リーマン・ブラザーズの倒産のあと、アメリカではシテ ィ・グループやバンク・オブ・アメリカを始めとする大銀行 に国民の税金が投入されて救済されたし、さらにGMやクラ イスラーなどの自動車メーカーに対しても国民の税金が使わ れた。
さらにヨーロッパでも銀行に対する公的資金の投入が 行われた。
 これらはいずれも株主有限責任という株式会社の基本原 理の死を意味している。
 こうして二一世紀のいま、世界的に株式会社制度は危機 に直面しているのであるが、それをリードしたのが日本であ る。
そこで問われているのは株式会社制度に代わるものは なにか、ということであるが、これはまた後日論じていく。
      東京電力が投げかけた問題  株式会社制度の基本は株主有限責任ということのほかに、 株式の売買自由、株主平等=一株一票の多数決原理、株主 総会が最高決議機関である、ということなどであるが、なに より重要なのは、これまで述べてきたように全株主が有限責 任であるというところにある。
 これによって株式会社は巨額の資金を集めることができる ようになり、そして株式会社は危険な事業にも投資し、それ によって巨大株式会社が生まれてきた。
 ところが、その株式会社があまりにも危険な事業に投資し た結果、それから発生した債務を負担することができなくな った。
 そこで国民の税金でこれを負担するということになったの だが、これはまさにJ・マカロックが恐れていた事態である。
それが現実となった以上、株式会社制度そのものが根本から 問い直されなければならない。
 東京電力はいま、そのような基本的な問題をわれわれに投 げかけているのである。
 このことを認識することがまず必要なのだが、日本の国会 ではもちろん、マスコミでもこのような基本的問題がまった く議論されないまま法案が通ってしまった。
 そればかりか、法学者もそして経済学者も、このような基 本的な問題をまったく議論しようとしない。
 私は近く東洋経済新報社から出版される『東電解体――巨 大株式会社の終焉』という本でこのことを詳しく論じている のだが、東京電力の事故は原発をどうするべきかだけでなく、 株式会社をどうするのかという問題を提起しているのである。
 それはまさに「株式会社制度の危機」、あるいは「株式会 社の死」を意味している。
 このような認識の上に立って東京電力の問題を議論するこ とが必要なのである。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『経済学は死んだのか』 (平凡社新書)。

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