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奥村宏 経済評論家
SEPTEMBER 2012 84
会社評論の立場
「会社をどうとらえるか?」
これは会社評論をする者にとって重要なことであるが、驚
いたことに、それについては余り考えられてこなかった。
今から半世紀以上も前のことだが、私は駆け出しの新聞記
者として会社評論を書くことになった。 当時の新聞は株式投
資欄に上場企業についての記事を載せていた。 そこで私は当
然のことながら株式投資の立場から会社評論を書いていた。
当時、会社評論として最も充実した記事を載せていたのは
『週刊東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』であり、それらは
いずれも株式投資のための会社評論であった。
このことは石橋湛山や高橋亀吉の書いたものや伝記を読め
ばわかるが、石橋湛山はそのために会社評論に力を入れ、高
橋亀吉がそれを担当した。
それによって『週刊東洋経済』はユニークな経済雑誌にな
り、『週刊ダイヤモンド』もそれにならっていった。
そこで新聞でもそれにならって会社評論を載せていたが、
そこで問題にされているのは今期、あるいは来期の利益がい
くらになるか、配当がどうなるか、そして増資の見通しはど
うか、ということであった。
駆け出しの記者としてそういう記事を書きながら、私は
「これでいいのかナ」という疑問を抱き続けてきた。
株式投資のための会社評論ではなく、もっと広い立場に立
って、社会人として会社をとらえていくことが必要なのでは
ないか。
日本経済にとって、そして日本社会にとって、この会社は
どのような役割を果たしているのか?
このようにもっと客観的に会社をとらえていくことが大事
なのではないか?
そのような疑問を抱き続けてきたのだが、今でもその点で
は変わりない。 ただ、状況は大きく変わってきた。
「会社の宣伝のため」
最近は『週刊東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』は以前の
ように会社評論に力を入れなくなり、特集主義でいろんな問
題を取り扱っているし、新聞も会社評論をあまり載せなくな
っている。
そういうなかで一九八六年当時、朝日新聞から出ていた
『朝日ジャーナル』が「企業探検」というシリーズを連載し
た。 そこで取り上げられているのは日本航空や住友銀行など、
日本を代表する大企業であったが、私はそこで松下電器産業
(現パナソニック)とダイエー、関西電力の三社を担当して記
事を書いた。
これは後に『企業探検』という題で朝日新聞社から出版さ
れ、さらに社会思想社の現代教養文庫に収められた。 (もっと
も、社会思想社はのちに倒産し、今はこの本は手に入らない)。
このシリーズのなかで私は株式投資の立場ではなく、もっと
広く社会人の立場から会社をとらえようとして記事を書いた。
そして最近では会社学の立場から具体的に会社を取り上げ
て、それを解明しようとしている。
それは例えば七つ森書館から出した『徹底検証 トヨタ』
や、東洋経済新報社から出した『東電解体』や『トップの暴
走はなぜ止められないか』となっている。 前者はいうまでも
なく東京電力を取り上げたものであり、後者はオリンパスと
大王製紙を取り上げている。
それに続いて現在、パナソニックについて本を書いている。
松下電器産業、そしてパナソニックについて書かれた本はた
くさんあるが、いずれもこの会社を賛美するものばかりで、
それは「会社の宣伝のために書かれた本」ばかりだと言って
もよい。
こうして会社評論が株式投資のためから、会社の宣伝のた
めにというように変わったのである。 もし石橋湛山や高橋亀
吉が生きていたらどう言うだろうか? 聞いてみたいものだ。
会社を賛美するだけの記事や本が巷に溢れかえっている。 石橋湛
山や高橋亀吉によって開かれた「会社評論」が、今や宣伝の道具に
成り下がっている。
第124回 会社評論は消えたのか?
85 SEPTEMBER 2012
広報部の役割
先に述べたように、いま私はパナソニックについて本を書い
ているが、そのためにこの会社について書かれたたくさんの
本を読んでいる。 もちろん雑誌の記事も読んでいるし、新聞
のスクラップも読み返している。
そのほとんどが会社側の立場に立った宣伝で、本の序文に
はいかに会社の広報部の人たちが貢献しているか、というよ
うなことが書かれている。 会社の広報部の役割は会社の宣伝
だから、これらの本の著者やジャーナリストに協力するのは当
然であり、それは彼らの仕事である。
そこでは会社にとって都合の良いことを積極的に書かせる
ようにし、そして会社にとって都合の悪いことは書かせない
ようにする。
このように会社の広報部によって主導された記事や本を書
いて、これが会社評論と言えるだろうか?
かつての石橋湛山や高橋亀吉は株式投資家のために会社評
論を書いた。 しかし、それは会社を弁護したり、会社を宣伝
するためではなかった。
そういえば、当時の会社には広報部とか広報課などという
セクションはなかった。
私が新聞記者をしていた時代にはまだ広報課はなかったが、
やがて大阪ではじめて松下電器産業が広報課を作った。
それによって新聞記者は非常に便利になり、必要な資料は
すべて広報課が準備してくれるし、誰それに会いたい、と言
えばすぐに連絡してくれるようになった。
こうして便利になると同時に、会社に都合の悪いことはす
べて書かせないようになった。 そして広報部の人たちが協力
することによって、会社を賛美する本がこれでもか、これで
もか、という程出版される。
こうして会社評論は堕落し、見る影もなくなっている。 こ
れはいったい何としたことか、と嘆かざるをえない。
地に落ちた会社評論
東京電力について書かれた本はたくさん出ている。 もちろ
ん、これは原発事故によるもので、当然のことながら東京電
力の原発事故に対する責任を追及しているし、経営者のあり
方に対してもきびしい批判をしている。
あれだけ大きな事故を起こしたのだから、そういう批判が
出るのは当然のことである。
私も『東電解体』のなかで東電経営者の責任を厳しく批判
している。 そして「財界の良心」のように言われてきた木川
田一隆元社長が原発を推進し、自分が生まれた故郷である福
島県に原発の建設を推進したことなども指摘している。
ところが、そのような東京電力の経営者を賛美する評論家
や学者がいまだにあとを絶たない。 「財界の良心」として木
川田や平岩外四などの元社長を賛美し、そして原子力発電は
国民生活にとって必要だと説く学者たちがいる。
そういう人たちは、いったい東京電力という会社をどう見
ているのだろうか。
それは「会社側の立場に立って」見ているのであり、株式
投資のためではない。 いわんや社会人としての立場に立って
見ているのでもない。
これでは、せっかく石橋湛山や高橋亀吉によって開かれた
「会社評論」が、今では会社の宣伝の道具になってしまって
いる、と言われても仕方がないではないか‥‥。
こうして、いま日本では「会社評論」は地に落ちているの
だが、それを建て直すにはどうしたらよいか?
これは新聞記者や雑誌記者、あるいはルポライターはもち
ろん、経済学者や経営学者たちにも課せられた重要な課題で
ある。
そして、言うまでもなく、私が提唱している会社学にとっ
て、会社をどうとらえるか、ということが最重要課題である。
「会社とは何か」ということが問われているのである。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『東電解体 巨大株
式会社の終焉』(東洋経済新報社)。
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