ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2013年2号
判断学
第129回 電力会社と新聞社

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 FEBRUARY 2013  78         朝日新聞の報道  年の瀬も押し詰まった昨年十二月二八日の夕刊で、朝日新 聞は電力会社の広告費について独自に調査した結果を発表し た。
それによると原子力発電を持つ大手九電力会社が、一九 七〇年度からの四二年間で合計二兆四〇〇〇億円を超える普 及開発関係費と称する広告宣伝費を支出していたことが分か ったという。
 それはアメリカのスリーマイル島で原発事故が起きた七〇 年代から急増しており、「メディアに巨費を投じ、原発の推 進や安全性をPRしてきた実態が浮き彫りになった」と書い ている。
 そして「電力業界は普及開発関係費をCMや意見広告の 費用に充てたほか、有力な報道・情報番組のスポンサーにな るなど、巨額を投じることでマスコミへの『発言力』を増し た。
一方、原発の安全性を疑問視する報道には強く抗議して きた」と書いている。
 そしてニューヨーク・タイムズ東京支局長マーティン・ファ クラーの次のような談話を掲載している。
 「(日本のマスコミは)政府や東電が記者会見で言ったこと をまとめて書いた感じだ。
政府はなるべく事態を小さく見せ ようとしていた。
メディアが多くの場合、それをうのみにし たことも問題だ。
記者が役所などの情報を頼り、同じ見方に なりがちだ」  ここでファクラーが言っているメディアにはもちろん朝日 新聞社が含まれている。
そして東京電力をはじめとする電力 会社から巨額の広告宣伝費を得ていたマスメディアの中にも もちろん朝日新聞社も入っている。
 だとすれば、これはマスコミ批判の記事ではないか‥‥。
 そして同じことはニューヨーク・タイムズについても言える のではないか? この記事を読んで奇妙な感じを持ったのは 私だけではないだろう。
一体、これはどういうことなのか?        原発推進から反対へ!  そう思ってこの記事を読んでいたら、同じ日の夕刊の紙面 に「原発を直視してきたか」という見出しで、記者座談会を 載せていた。
これは二〇一一年一〇月から朝日新聞に合計三 〇六回にわたって掲載された「原発とメディア」と題したシ リーズが終わったので、掲載したものだという。
そこでは次 のように書いている。
 「計三〇六回にわたる報告からは、原発報道をめぐる様々 な反省点と教訓が改めて浮かび上がった。
今後に生かすには、 問題の検証を怠らない姿勢が必要となる」。
 私はこのシリーズが始まった頃、興味深く読んでいたが、同 時に、「なぜ朝日新聞がこんな連載をするのか?」と不審な 気持ちを抱いた。
 というのもこれまで原発を推進する記事を朝日新聞も書い ていたはずではないか。
そうだとすればこれは「自己批判」 の記事ではないか? そんなことをよくも朝日新聞の経営者 は許したものだ、という疑問を抱いたからである。
 先の記者座談会にはこういう発言もある。
 それは一二年七月、朝日新聞が「原発ゼロ社会」という提 言をしたことに関し、小此木潔編集委員が、  「(これに関して)激しい議論があった。
背景は脱原発の世 論。
だが、論説委員らは『原発を無くすと電力不足にならな いか』『温暖化ガス削減をどうする』といった疑問に答える べく約三カ月間、議論した。
社内にも相当な異論があった」 と発言している。
 そうか、朝日新聞も脱原発の世論に押されて「原発ゼロ社 会」ということを提言したのか。
それに対して社内では論説 委員たちから反対があったというが、それもそうだろう。
 それまで原発の宣伝をし、電力会社の広告を載せてきた朝 日新聞がそう急に原発反対を唱えることはできない。
そこで 激しい議論が社内にもあった、と言うのは分かる。
 朝日新聞が「原発ゼロ社会」の提言をした。
これまで電力会社 の広告目当てに原発推進に協力してきた同社が、事故をきっかけ としてメディア本来の使命に目覚めたということなのだろうか。
第129回 電力会社と新聞社 79  FEBRUARY 2013         「会社の哲学」  しかし、ここで考えておかねばならないことがある。
それ は「新聞社は単なる利益追求を目的とした株式会社でよいの か」ということである。
新聞社は言うまでもなく言論報道の 機関であり、読者に対して公正な情報を伝える義務がある。
 もし新聞社の社長が原子力発電を推進しようと思ったとし ても、新聞社としては原発がいかに危険か、ということを報 道することが必要である。
その点で読売新聞のこれまでのや り方は公正さを欠いており、報道機関としての義務に反して いるといえる。
 同様に、広告収入を増やすために原発推進の報道をするこ とは、報道機関としてその義務に反していると言える。
 そこで問われているのは、そもそも株式会社とは何かとい うことである。
「株式会社は株主の利益を最大にすることを 目的にした機関である」というのが、いわゆる「株主資本主 義」論で、日本ではこれが通説になっている。
 しかし、いま具体的に東京電力や朝日新聞社で問題になっ ているのは、この株式会社の原理である。
株主の利益を追求 するためであれば、原発事故によって多数の住民に危害を与 えてもよいのか?  広告収入を増やすために、あるいは新聞の販売収入を増や すために、それに合わせた報道をしてよいのか、ということ である。
朝日新聞が三〇六回にわたって「原発とメディア」 という特集を連載したというのも、そこに問題があったから ではないか?  いま問題にすべきは「そもそも株式会社とは何か」という ことである。
それは原発報道から突然起こってきたことでは なく、それ以前から問われていた問題である。
 それを理解するには新しい哲学、すなわち「会社の哲学」 を打ち立てることが必要なのではないか。
そう考えて私はい ま「会社の哲学」に取り組んでいるところだ。
       株式会社の目的  原発推進と言えば有名なのは読売新聞である。
読売新聞 の社主であった正力松太郎が一九五五年に「原子力の平和利 用」を掲げて総選挙で当選し、さらに翌年には原子力委員会 の初代委員長に就任している。
 それ以後、一貫して読売新聞は原子力発電を推進してきた が、しかしその点では朝日新聞も他の新聞もあまり違わない。
 それはなにより電力会社からの広告宣伝費を得るためでは なかったのか?  新聞社も株式会社である以上、利潤追求を目的としている。
その元となるのは読者から得る新聞代とともに広告収入であ るから、なるべく広告収入を増やす努力をするのは当然であ る。
そうした事情がありながら「原発ゼロ社会」ということ を朝日新聞が提言することに対し、社内から反対が出るのは これもまた当然だ。
 一方、電力会社も株式会社であり、利潤追求を目的にして いる。
そこで原子力発電所を作って電力のコストを下げよう とする。
そして顧客にできるだけ多く電力を消費させて電気 料金を増やそうとする。
そのためにも原子力発電を増やして いくことが必要である。
 こうして利潤追求を目的とした株式会社であることが電力 会社をして原発推進をさせ、そして新聞社をして原発推進の 態度を取らせる、ということになる。
 もっとも、新聞社としては世論に反対すると新聞の読者が 減ってくるかもしれない。
そうなると新聞の販売収入が減る から、これは株式会社の目的に反する。
 だから、あえて「原発ゼロ社会」という提言をすることに もなる。
そこで、読者と広告スポンサーのどちらを選ぶのか、 ということで社内で議論が戦わされるということになる。
 そう思うと「原発ゼロ社会」という提言も新聞社の利益追 求の手段と思えてきて、白々した気分になる。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『東電解体 巨大株 式会社の終焉』(東洋経済新報社)。

購読案内広告案内