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APRIL 2004 56
いきなり会議室に姿を現した大先生
翌日の事務所はその話で盛り上がる
「びっくりしました?」
問屋での会議の翌日、昼前に事務所にあらわれ
た二人の弟子の顔を見るなり、女史が聞いた。
「それは驚きましたよ。 師匠が来られるなんて、ま
ったく知りませんでしたから‥‥ねぇ?」
体力弟子に同意を求められた、美人弟子が頷く。
「ところで、どういういきさつだったんですか?
会議が終わってから師匠に聞いてみたんですが、何
も教えてくれないんです」
今度は美人弟子が女史に尋ねた。 いつも昼過ぎ
に事務所に顔を出す大先生は、まだ来ていない。 期
せずして井戸端会議が始まった。
「はい、あの会議にお二人が向かわれたあと、問
屋の社長さんからお電話があったんです。 『先生は
いらっしゃいますか』って。 それで先生に電話を回
しました‥‥」
「どうなったんですか?」
体力弟子が先を急かす。
「電話に出てからしばらくは、先生は面倒くさそ
うな口調で、『なにー』とか、『なんでオレが』とか
おっしゃっていたんです。 それが、そのうち『そう
か』とか『なるほど』というふうに口調が変わって
きて、最後に『わかった、そうしよう』と言って電
話を切られたんです」
「へー、社長さんはどうやって誘ったんでしょう?
ぜひ知りたいですねぇ」
そう言うと体力弟子は、再び美人弟子の方をみ
た。 美人弟子も興味津々という感じで頷く。
「それがですねー」と、さも愉快そうに女史は続
けた。
「先生が電話を切られたすぐ後に、社長さんから
私にお電話が入ったんです。 先生に急に会議に出
ていただくことになったため、車を回しますのでよ
ろしくということでした。 私も興味があったので、
小さな声で、『よく出席するとおっしゃいましたね』
って聞いたんです。 そしたら‥‥」
「そしたら?」
「みんなには先生が来られることは秘密にしてお
いて、ここぞというところでご登場いただくと、た
《前回までのあらすじ》
主人公の“大先生”はロジスティクスに関するコンサルタントだ。 現
在、コンサル見習いの“美人弟子”と“体力弟子”とともに、ある消費
財問屋の物流改善を請け負っている。 今回の案件では、クライアントか
ら物流現場の改善ではなく、物流を切り口に経営を立て直すことを望ま
れている。 売上至上主義から脱することができず、コスト意識を欠いた
“物流サービス”が横行している問屋の社内を、どうやって変えるか。 そ
の総仕上げの段階ともいうべき問屋の全社会議に、出席予定のなかった
はずの大先生が突然、姿をあらわした。
湯浅和夫 日通総合研究所 常務取締役
湯浅和夫の
《第
24
回》
〜卸売業編・第
12
回〜
57 APRIL 2004
ぶん会場中びっくりして、先生をご紹介するには
最高の舞台設定ができると思います――そう社長
さんがお話しされたら、急に乗り気になられたそ
うです」
一瞬の間を置いて弟子二人は噴き出した。 事務
所が笑いに包まれる。 三人ともお腹を押さえなが
ら顔を見合わせている。
「社長さんは‥‥師匠の性格というか好みを‥‥見
事にとらえてますね。 すごいなー」
笑いをこらえながら体力弟子が感想を吐き出す。
美人弟子はといえば、そのときの大先生の様子を
思い浮かべてしまったのか、お腹に手をやったまま
声にならない。 大きく頷いているだけだ。 女史も笑
いながら同意すると、お茶を入れるために席を立っ
た。 「そのときはイチャモンをつけます‥‥」
大先生の言葉が会議の雰囲気を変えた
お茶を飲みながら、今度は女史が弟子たちに聞
いた。
「ところで、先生が会議に登場されたときどんな
でした?」
女史の質問に、美人弟子が実況中継を始める。
「はい、それはもう、みんなびっくりしてました。
登場の仕方からして芝居じみてましたから、師匠
が席につかれるまで、そこだけスポットライトが当
たってるような感じです。 たしかに、師匠を紹介す
るには最高の舞台設定だったかもしれません」
にっこりと微笑む美人弟子を見ながら、女史が
先をうながす。
「それで、どんなご挨拶をなさったんですか、先
生は?」
「師匠が中央の席まできて、あっ、このときは社
長が先導されてたんですが、起立して迎えたみなさ
んに座るよう手で合図したんです‥‥師匠はまだ
立ったままでした。 師匠が何を言うのか、みなさん、
Illustration�ELPH-Kanda Kadan
APRIL 2004 58
それこそ固唾を飲む感じで見守っていました。 とこ
ろが‥‥」
「えー、ご挨拶しなかったんですか?」
待ちきれずに先回りする女史を制して、美人弟
子が続ける。
「一言、『私にかまわず会議を続けて』とだけ言う
と、さっさと座ってしまったんです‥‥」
「へー、そうだったんですか。 みなさん、呆気に
取られてしまったでしょうねー、がっかりしたとい
うか‥‥」
心配そうな表情を浮かべる女史をとりなすかの
ように、体力弟子が口をはさんだ。
「実は、その後でもう少ししゃべったんですが、こ
れが効いたんです」
語気は強いが何やら意味のわからない体力弟子
の言葉に、女史が首を傾げる。 それを見ながら美
人弟子が解説する。
「師匠が座ってしまったので、しかたなく物流部
長が会議を再開しようとしました。 そうしたら師匠
がそれを止めて、会議室のなかを見回しながら言っ
たんです‥‥」
「なんて?」
「議論するにあたっては、利益を出すためにどう
するかという視点を持つこと。 こうだから利益が増
えるという結論を常に頭に置いて話すように。 もし、
利益を出すという枠から外れた意見が出たら、そ
のときはイチャモンをつけますので、そのつもりで
‥‥と。 この言葉は効きましたね。 会議の雰囲気
ががらっと変わって、前向きの意見が次々に出る
ようになりましたから」
女史が感心しながら聞いている。 再び体力弟子
が付け足す。
「社長さんが、『誰も責めるつもりはありません。
これまでのやり方は私を含めた全員の責任ですから。
過去のやり方をどんどん否定して話し合いましょ
う』っておっしゃったのも効果的でしたね。 その後、
売り方、仕入れ方はもちろん、評価制度について
まで、利益を出すためにはどう変えたらいいかという意見がたくさん出ました」
「へー、じゃあ先生の登場は、大成功ってことで
すね。 きっと、社長さんはそこまで読まれてたんで
すね」
「そうでしょうね、すごいなー、社長さんは‥‥」
体力弟子がしきりに感じ入っている。 大先生が
いたら、『オレはすごくねえのか』とどやされるとこ
ろだ。
「やることはたった一つだぞ」
この言葉を巡って関係者が集う
ちょうどその頃、問屋の本社社長室でも会議が
開かれていた。 メンバーは四人。 社長、常務、物
流部長、それに昨日の検討会にも出席していた大
阪支店の営業部長である。
「昨日の検討会で、これまでの売り方、仕入れ方に
ついての反省と、いくつかの提案がありました。 で
も会社としてこうする、という具体的な結論は出
ていません。 先生がお帰りのとき、『今日の会議を
放談会に終わらせないためにどうするか、具体的な
行動に結びつけるためにどうするかが次の課題だ。
物流部長に問題を出しておいたので、彼に答えさ
59 APRIL 2004
せればいい』と私に耳打ちされました。 さて、あな
たのお答えは?」
社長が単刀直入に物流部長に尋ねた。
今日の社長は清楚な白のスーツで決めている。 ブ
ルーのブラウスが映える。 社長は重大な局面では必
ず白のスーツだ。 勝負服に身を固めた社長が醸し
出す毅然とした態度からは、凄みさえ伝わってくる。
この少人数の会議が会社の将来を決める重要な場
であることを、よく認識している現れだろう。 社長
の雰囲気に気圧されたのか、物流部長も緊張を隠
しきれない様子だ。 慎重に言葉を選びながら話し
出した。
「はい、先生は、『いろんな意見が出たけど、これ
らを整理して一つずつ解決策を考えるなんてばかな
ことはするな。 やることはたった一つだぞ。 それは
何だ?』と、私の肩を叩かれました‥‥」
物流部長の言葉に三人が頷く。 社長の顔に笑み
が広がった。 社長が確認する。
「先生は、『やることはたった一つだぞ』っておっし
ゃったのね?」
「はい、そうおっしゃいました」
「それで、その一つとは何?」
社長からの立て続けの質問に、物流部長が言葉
に詰まる。 どうやら三人は答えをわかっているよう
だ。 ここで自分だけ違うことを言ったらまずいとい
う思いが頭をよぎる。 そんな物流部長の気持ちを
よそに、三人は物流部長の顔を凝視している。 沈
黙に耐え切れなくなった物流部長が、恐る恐る自
分の考えを話し出した。
「わたしとしては、そのー、先生がおっしゃった、
その一つというのは、ABCを全社に導入しろと、
そういうことかなと‥‥違っていたらすんません」
物流部長の言葉を聞いた社長は、確認するかのよ
うに営業部長を見た。 営業部長は頷くと、物流部長
の顔を見ながら半ば独り言のように発言した。
「違ってないと思うよ。 オレは、前に大阪支店で
ABCの結果をもとに検討会をやったときから『こ
れだ』と思ってた。 これで会社を変えられるとね。
昨日の全社会議の資料として、先生からABCの結果表だけ出せばいいと指示があったという話を聞
いたとき、そのときの思いは間違ってなかったと確
信した‥‥」
ここまで言うと営業部長は居住まいを正し、社
長と常務の方に向き直った。 そして、噛みしめるよ
うに話し始めた。
「以前、先生方が私どもの大阪支店に来られた後、
夕食をご一緒させていただいたことがありましたよ
ね。 あれは、先生が入院される直前のことでした」
みんなの脳裏に、あの宴席でのやりとりが蘇って
きた。 この日の会議で営業部長は、営業の立場を
一身に代弁するかのような態度をとり、コンサルタ
ントたちにやり込められてしまった。 だが、その後
の宴席では、本当は手詰まりの状態になっている
という率直な心情を吐露し、大先生との間に奇妙
なきずなが生まれた。
あの大阪出張から帰京した夜、大先生は予期せ
ぬ病に倒れて緊急入院した。 一カ月におよんだ入
院期間中、社長は暑いさなかに何度も見舞いに行
った。 そのことが遠い昔の出来事のように思い出さ
れた。
APRIL 2004 60
ちょっと間を置いて営業部長が続けた。
「あのとき支店長と私は、先生から『営業マンの
行動を変えるのに意識改革なんか必要ない。 具体
的に彼らの行動を変えさせる方法を考えろ』と言
われました。 結局、私どもはその答を出していませ
んでしたが、ABCの話を聞いたとき、私はこれだ
と思ったんです。 顧客別採算、営業マン別採算を
見たとき、そこに営業のやり方のすべてが数字で示
されていました。 どんな言い訳も通用しません。 ど
こで利益が出ていて、どこで赤字を出しているのか、
そして、その原因が何なのか、はっきりと数字が物
語っていました」
自分の考えの妥当性を確認するかのように、営
業部長がみんなの顔をみる。 三人が大きく頷くの
を確認すると、力強く言葉をついだ。
「私は、営業マンに、利益を出すために何をすれば
いいのか、各人に仮説を立てさせるつもりです。 そ
れをABCで毎月検証し、評価していくことで、彼
らの行動は自然と変わると思います。 営業マンごと
に、担当する顧客別に、何をすればいいかを一緒に
考えていきたい。 先生に、総論で指導をするな、固
有名詞で指導をしろと以前言われたことがあります
が、営業マンごと顧客ごとに指導するつもりです。
これを全社展開すれば、うちの会社は変わります」
営業部長が言い切った。
社長と常務が、感慨深げに営業部長を見ている。
物流部長は小さく拍手をすると、自分の存在も忘
れないで欲しいと主張するかのように発言した。
「私もまったく同感です。 営業が変われば、それ
が引き金になってすべてが変わると確信しています。
大阪支店での経験では、ABCは社内の抵抗なし
に導入できると思います‥‥よかったー、自分の考
えが違ってなくて。 もっと自信を持って言えばよか
ったなー」
最後はいかにも物流部長らしい物言いになり、社
長室に笑いが起こった。
「ところで、ABCは物流だけでなく、営業にも入れたらどうだ。 営業活動のコストも顧客別に取
れば、評価基準としては完璧だ。 違うか?」
常務の提案に、物流部長と営業部長が即座に同
意した。 社長が満足そうな顔で、会議を総括する。
「ABCを全社に導入し、それをベースにマネジ
メントをしようというみなさんの意見に私は異存あ
りません。 意識を変えるとか、何カ年かの改善計
画を作るなどという意味のない取り組みはもうご免
です。 先生がおっしゃるように、徹底して数字で経
営をしていきたいと思います。 ああしろ、こうしろ
と言えば、反発があったりするかも知れませんが、
数字には誰も反発できないでしょう‥‥それでは、
その方向で早速、動いてください」
社長室を出ようとする物流部長と営業部長に社
長が声を掛けた。
「あなた方には、これから全支店でABCをベース
にしたマネジメントを定着させるために動いてもら
います。 もちろん、支店長に余計な配慮をしないで
済むような立場に就けますので、そのつもりで‥‥」
(次号に続く) *
本
連
載
は
フ
ィ
ク
シ
ョ
ン
で
す
ゆあさ・かずお1971年早稲田大学大学
院修士課程修了。 同年、日通総合研究所入
社。 現在、同社常務取締役。 著書に『手に
とるようにIT物流がわかる本』(かんき出
版)、『Eビジネス時代のロジスティクス戦
略』(日刊工業新聞社)、『物流マネジメント
革命』(ビジネス社)ほか多数。
PROFILE
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