ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年4号
特集
トヨタ方式に挑む 導入に成功する組織・失敗する組織

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APRIL 2004 28 導入に成功する組織・失敗する組織 日本企業を救う万能薬のように「トヨタ生産方式」を 持ち上げる風潮がある。
しかし、同方式の導入はそれほ ど甘いものではない。
導入に成功する組織の条件と、ト ヨタを参考にしながらも独自の道を模索する企業の取り 組みを紹介する。
(岡山宏之) 物の流れを重視する経営  「トヨタ生産方式は物流そのものなんですよ」――。
かつてトヨタ自動車の物流管理部で部長を務め、現在 は「ものつくり大学」で教鞭をとる田中正知教授はそ う言い切る。
「今では工場のオートメーション化が進んでるから、 作業者が作るなんてことはほとんどしていない。
すべ て機械がやってる。
じゃあ現場で何をやるかというと 物を運んでいる。
一つひとつの物を機械に投入し、そ こでできたものを次の工程に運ぶ。
さらに工場の外で は製品になったものをまた運ぶ。
すべて物流です」 むろん扱っている製品によって事情は異なるが、物 流を担当するまでは長らく生産部門に所属し、実際に トヨタ生産方式を手掛けてきた人物の言葉だけに興味 深い。
何せ日本で軽視され続けてきた?物流〞が、日 本最強企業の称号を欲しいままにしているトヨタの競 争力の源泉だというのだ。
確かにトヨタの社内での物流の位置づけは、一般的 な日本企業のそれとは明らかに違う。
そのことを如実 に示すのが物流子会社に対する考え方だ。
トヨタも完 成車輸送の分野ではトヨタ輸送などの物流子会社を 持っている。
しかし、これは過去にトヨタが製造会社 と販売会社に分かれていた時代に、販社が設立したも ので、八二年の工販合併後にあたって現トヨタの傘下 に収まったに過ぎない。
トヨタ生産方式の本丸である製造部門では、創業 以来ずっと物流を自ら管理しており、子会社化などは 論外だった。
その根底には「難しいことこそ自分たち でやる」(田中教授)というトヨタ流の選択があり、こ れこそがトヨタの物流に対する姿勢でもある。
実際、トヨタの社内には大規模な物流の組織がある。
本社内の「物流企画部」では七〇人弱の社員が物流 全般の管理に従事している。
この組織以外に、補修 部品の物流、海外工場への部品供給、さらに完成車 輸送という三つの物流部隊がある。
他に工場内で生 産物流に従事する作業員も抱えており、物流に携わっ ている社員の合計は千数百人に上る。
質的にも重視してきた。
トヨタの物流企画部は、八 二年の工販合併の際に「物流管理室」としてスタート している。
発足時からしばらく、同部門を実質的に統 括していたのは張富士夫現社長だった。
それから数年 後に張氏が、海外で初めてトヨタ生産方式を本格展 開した米ケンタッキー工場の責任者として赴任したこ とを考えると、同方式と物流の関係の深さが伺える。
トヨタ生産方式をめぐる誤解 NEC、キヤノン、ダイエー、郵政公社、病院――。
近年、トヨタ生産方式を導入しようと躍起になってき た組織は多い。
トヨタが最終利益で一兆円を超す好 業績を残していることもあり、マスコミに?トヨタ生 産方式が日本を救う〞といった論調が溢れている。
しかし、トヨタ生産方式のことを本当に理解してい る人は少ない。
「かんばん方式」を、トヨタ生産方式 そのものと誤解している人も多い。
言うまでもないが 「かんばん」は管理ツールに過ぎない。
このことは同 方式の創始者、大野耐一氏が書いた『トヨタ生産方 式』(ダイヤモンド社)にも、「トヨタ生産方式という のは『つくり方』であり、『かんばん方式』というの は『管理の方式』である」と明記されている。
多くの機能を併せ持つ「かんばん」をわずかな言葉 で説明するのは不可能だが、ここでは経営者の関心が 高い?在庫〞を管理する役割にだけ触れておきたい。
過剰生産のムダを許さないトヨタ生産方式では、工 第1部 トヨタ方式に挑む 第2特集 29 APRIL 2004 場にブレーキをかける役割を「かんばん」が担ってい る。
後工程から「かんばん」が回されない限り、前工 程は生産しないというルールを厳密に運用することで 過剰生産を未然に防ぐ。
事前に生産計画は作るが、実 際の生産活動を「かんばん」で管理しているため、ト ヨタの生産活動はいつでも止められる。
「かんばん」を使わなくとも、トヨタと同様の生産 活動を行うことは理屈上は可能だ。
しかし、実行する のは難しい。
そうかと言って「かんばん」を導入する だけで過剰生産を制御できるかといえば、これも簡単 な話ではない。
トヨタ生産方式そのものを理解せずに、 ツールだけを模倣すれば事態は悪化する。
そもそも同方式は「教えて分かるようなものではな い。
一緒にやってみて、ケースバイケースで対応して いかなければ身に付かない」(田中教授)。
前掲した大 野氏の著書にも、トヨタ生産方式の「基本思想は『徹 底したムダの排除』である」と記されている。
ようす るに、効率化のための活動そのものがトヨタ生産方式 の真髄であり、極論すれば、そのためのツールは「か んばん」でなくとも構わないのである。
トヨタ生産方式で生まれ変わったキヤノン 現にキヤノンは「かんばん」を使わずにトヨタ生産 方式の導入に成功している。
同社が九八年から、この 分野の著名コンサルタントである山田日登志PEC 産業教育センター所長とともに取り組んできたのは、 業務改善というよりは企業体質の改革だった。
その成果は最高益を更新し続ける業績にあらわれて いる。
在庫も減った。
九〇年代の初めに三カ月分以 上あったキヤノンの棚卸し資産回転期間(連結ベー ス)は、順調に減り続け直近では一・八カ月分まで減 っている。
いまや「キヤノン生産方式」と称されるほ どで、トヨタの関係者すら脱帽する変身ぶりだ。
九八年以前のキヤノンは多くの問題を抱えていた。
すでに世界有数の精密機器メーカーではあったが、世 界各地の在庫を一元管理できないなどオペレーション 面の課題は大きかった。
このため御手洗冨士夫社長は 九八年に経営革新委員会を発足し、連結経営とキャ ッシュフロー経営の徹底を全社に指示した。
このときから生産革新に取り組み、工場の組み立て 工程をコンベヤ生産からセル生産へと全て移行する作 業を進めた。
結果としてキヤノンが撤去したコンベヤ の総延長は累計二〇キロに達し、一連の生産革新に よって世界中の工場で空いたスペースは合計七二万平 方メートル(東京ドーム一五個分)にも上った。
トップダウンの体質改善に取り組む一方で、事業部 ではボトムアップの改善活動を進めた。
複写機などを 手掛ける映像事務機事業本部は、キヤノンのなかで最 初にサプライチェーン改革を本格化した経験を持つ。
総勢一九〇人からなるSCMプロジェクトを九九年に立ち上げ、それまでの需給調整を一変させた。
プロジェクトを主導した飛鳥井治映像事務機生産 計画統括センター所長は、「従来の製販調整では、販 社の?購入計画〞に基づいて製品を出荷していた。
こ のことが長期になるほど数字が狂う原因になっていた。
そこで今回は販社の?販売計画〞を起点にするように 改めた。
計画周期も月次から週次にスピードアップし、 販社の計画が自動的に生産計画に反映されるSCM システムを構築した」と説明する。
このSCMシステムは、併行して刷新が進められて いた全社的な在庫管理データベースと最終的に連動し た。
この新システムに、新たに方面別に算出した輸送 リードタイムや作業手順、製品ごと設定し直した安全 在庫水準の情報などを付加していったことで、市場の ●在庫を減らし利益率を高めているキヤノン 12.0 11.0 10.0 9.0 8.0 7.0 6.0 5.0   0 2.37 '98 '99 '00 '01 '02 '03 2.37 8.5% 8.5% 6.0% 11.2% 2.25 2.06 1.94 1.80 2.6 2.4 2.2 2.0 1.8 1.6 1.4 0 売上高経常利益率 棚卸し資産回転期間 (%) 売上高経常利益率 棚卸し資産回転期間 (カ月) 9.7% 8.4% キヤノンの映像事務機事業 本部でSCMを主導する飛 鳥井治映像事務機生産計画 統括センター所長 APRIL 2004 30 動きに即応できる体制が整ったのである。
導入に失敗する組織の共通点 キヤノンの成功は、トヨタ生産方式を?血肉化〞で きたからだ。
その意味を理解するには、トヨタ生産方 式の成立過程を振り返るのが手っ取り早い。
戦後まもなくトヨタが自動車産業に本格参入したと き、圧倒的に先行していた米国の自動車産業に対抗 するには、段違いに貧弱な生産設備をフル回転させる 必要があった。
資金的なひっ迫から、米国で主流のコ ンベヤ生産ではなく多能工化を進めざるを得なかった。
在庫は持たないのではなく、持つ余裕がなかった。
こうした窮状に追い打ちをかけたのが一九五〇年に 勃発した経営危機だった。
このときトヨタは激しい労 働争議の末に人員整理を余儀なくされた。
そして、こ の経験がかえってトヨタという組織を一丸にし、生産 性向上に取り組む契機となった。
それから数年後に 「かんばん」が生まれ、度重なる改善活動によって磨 かれてきたのがトヨタ生産方式である。
つまり、トヨタにとってトヨタ生産方式は、企業と して生き残るための必然的な手段だった。
このような 生産方式を他社が導入するときには、次の三つの要素 を満たせなければ成功はおぼつかない。
?経営トップの自覚 ?組織を一丸にする危機感の共有 ?現場改善を続けるための社内的な仕組み このうち一つでも欠けると導入に失敗する可能性が 高い。
キヤノンがトヨタ流の体質改善に成功した第一 の要因は、経営トップが率先して現場レベルの生産革 新に取り組んだ点だ。
そもそも同社がトヨタ流の生産 革新を導入したきっかけは、御手洗社長がソニーの工 場でセル生産を見てショックを受けたことにある。
経 営トップの現場への理解が最初の一歩となった。
そして、トヨタのような危機感を持ちえないキヤノ ンを現場レベルで変えたのは、PEC主催の管理者研 修の影響が大きかった。
研修内容はかなり精神論的だ。
参加者はまず声を張り上げる挨拶を強制される。
さら に中小企業の工場での整理整頓や掃除をやらされ、こ うした活動を通じて現場のムダを見抜く眼を鍛える。
トヨタ生産方式の導入を試みながら失敗する組織に は、こうした取り組みが浸透しない。
一部の現場だけ が懸命に取り組むのでは、企業全体の体質改善には 至らず、改革は尻すぼみに終わってしまう。
トヨタ生産方式とは異なる道 もっとも、強い組織になるための方策は何もトヨタ 生産方式だけではない。
現に過去に「かんばん方式」 の導入に失敗した日産自動車は、トヨタとは異なるア プローチで企業体質の革新に成功しつつある。
周知のように、日産はカルロス・ゴーン現社長のも とで「リバイバルプラン」に取り組んで復活を遂げた。
このときに手掛けたことは、何ら奇をてらったもので はなかった。
過去の不合理な仕組みを徹底的に再構 築し、停滞していた人心を組織横断的なプロジェクト によって一新したに過ぎない。
取り組みの詳しい内容自体は、本稿で改めて触れる までもないだろう。
それよりも興味深いのは、欧米流 のエリート経営者とみなされがちなゴーン氏が、実は 筋金入りの現場主義者で、しかも顧客を起点とするサ プライチェーン改革に強くこだわっていることだ。
日産は二〇〇一年末にSCM本部を発足させた。
総 勢六〇〇人からなる同組織は、過去の日産が軽視し がちだった「物流」を工場から最終顧客まで一貫して 管理している。
ゴーン氏の意向を受けて?販社〞まで 『トヨタ生産方式』 (ダイヤモンド社 1978年) 創始者である大野耐一氏がこの 本を書いたことで「トヨタ生産 方式」の体系化が完成した    トヨタ方式に挑む 第2特集 31 APRIL 2004 ではなく?最終消費者〞に届けるところまでを業務領 域としている(本誌二〇〇三年八月号参照)。
ゴーン氏の考え方は驚くほどトヨタ生産方式と似て いる。
しかし具体的な手法は違う。
日産独自の道を歩 もうとしている。
同様にソニーも、トヨタ生産方式に 学びながらもオリジナルモデルを模索している。
ソニーがトヨタ流の生産革新に取り組んだのは、九 〇年代の初めで、実はキヤノンよりずっと早かった。
しかし、それからソニーが推進してきた組織改革はト ヨタ生産方式の方向性とは大きく異なっている。
九〇 年代を通じてサプライチェーンの高度化に取り組んで きたソニーは、これを具体化するために「EMCS構 想」を掲げた。
そこで中心的な役割を担っているのが、 二〇〇一年四月に発足したソニーEMCSだ。
同構想では、設計(E)から顧客サービス(CS)ま でを、製造拠点(M)に一元化して、サプライチェー ンの機能の大半をここに集約しようとしている。
そし て従来は事業部や製品群ごとに縦割りになっていた組織を、機能別の水平統合モデルへと大胆に組み替えた。
この試みは、在庫削減という意味では既に大きな成果 につながっている(本誌二〇〇二年九月号参照)。
分業を前提とするこの組織改革は、トヨタ生産方 式が目指してきた垂直統合モデルとは対照的だ。
これ による結果はまだ明らかではないが、縦割り組織の弊 害を消すために採用した水平統合モデルが、将来的に ソニーの経営をおかしくしてしまう可能性も否定でき ない。
今後の数年間は目を離せない状況が続く。
いま日本を代表するメーカーの多くが、トヨタ生産 方式から刺激を受けている。
そして導入に成功する企 業には明らかな共通点がある。
そこを理解せずに導入 を急げば、かえって経営は悪化する。
多くの事例が、 そう示唆している。
トヨタ生産方式が発展してきた経緯は、二 段階に分けて考える必要があります。
全社の 工場に「かんばん」が行き渡ったのは一九七 〇年代です。
七八年に大野耐一さんが『ト ヨタ生産方式』(ダイヤモンド社)を出した のですが、あの本を書くことで大野さんは思 想的な穴を埋めて体系化していったんだと思 います。
ですから、この本が書かれた時点で 骨組みが完成したと考えていいでしょう。
その後、米国で実践したことによってトヨ タ生産方式は飛躍的に発展しました。
八四 年からトヨタはGMとの合弁会社、NUM MI(カリフォルニア)で生産を開始したわ けですが、あのときに恐る恐るトヨタ生産方 式を米国でやったんです。
そうしたら結構い けるじゃないか、という話になった。
それで今度はケンタッキー(TMMK)と いうことになりました。
ケンタッキー工場の 初代トップは現在の張社長だったわけですが、 当時の張さんはトヨタ生産方式の先兵の一 人です。
このときに米国人と一緒に議論を 重ねた経験を通じて、トヨタ生産方式はもう 一つブレークしました。
今のトヨタが誇れることがあるとしたら、 現場の第一線でやっている三〇代くらいの 班長さんたちの存在でしょうね。
彼らは世界 中でトヨタ生産方式に基づく指導をしていま す。
日本人にではなく異民族、異教徒に教 えている。
人間同士ということしか共通点の ないような人たちに一生懸命に教えることで、 班長さんたち自身が一回りも二回りも大き くなるんです。
こういう人たちが日本に帰っ てくる頃には、もはや筋金入りです。
言葉す ら満足に通じない人たちと一緒にトヨタ生産 方式をやってきた経験は大変なもので、自分 がやっていることが信念になるわけです。
そもそもトヨタ生産方式というのは教え てできるものではありません。
教えて分かる ようなものでもない。
一緒にやってみて、ケ ースバイケースで対応していかなければ身に つきません。
茶道と同じですよ。
茶道の本 を一生懸命読んだって、本当の茶道が分か るわけがないでしょう。
トヨタ生産方式も 一緒にやるなかで徐々に納得していくもの です。
ここは皆さんが誤解しているのですが、 ト ヨタ生産方式という巻物があるわけではない んです。
できる人を連れてくればいいという ものでもない。
トップ自らがその気になって、 朝から晩までフォローし続けなければダメな んです。
多くの企業がトヨタ生産方式を導入しよう とするのは結構ですが、ようはどこに導入す るのかという話です。
役員研修で徹底的にや って、これをマスターできなければ役員の首 をすげ替えるというところまでやるのであれ ば、素晴らしい成果を得られるのかもしれま せんがね。
(談) 「トヨタ生産方式は教えられない」 ものつくり大学 田中正知 製造技能工芸学科 教授 (元トヨタ自動車・物流管理部部長)

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