ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年5号
やらまいか
子供の頃からアイデアマン

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

MAY 2004 60 畑にはご馳走がいっぱい 「どうして大須賀さんは仕事に対してそんな に一生懸命になれるの?」 そう聞かれることがある。
なんでだろう? 正直わかんない。
意識しているわけじゃなくて、 自然と体が動いてしまう感じ。
小さい頃は食 べることに必死だった。
その時の経験があるか ら、いま何事に対しても一生懸命になれるの かもしれないな。
オレが中学を卒業したのは昭和三〇年。
戦 争が終わったのが昭和二〇年だから、ちょう ど戦後で日本が一番苦しかった時期を小中学 生として過ごしたことになる。
当時はとにかく モノがなかった。
食べることさえままならない。
食欲旺盛な年頃なのにいつも腹を空かしてい たという記憶がある。
前にも説明したけど、オレは十一人きょう だいの一〇番目。
実家はうどん屋だった。
う どんがあるから食事には困らないというイメー ジがあるかもしれないけど、たくさん子供を抱 えているもんだから、学費が払えないこともあ るくらい生活は貧しかった。
腹いっぱい食べたい。
でも家で出される食 事には限りがある。
ほかのきょうだいたちの分 まで食べてしまうわけにはいかない。
お金なん て持っていないから、外で何かを買って食べる こともできない。
それでも何とかして空腹を満 たしたかった。
どうすれば腹いっぱいになれる のかをいつも考えていた。
モノがない時代でも畑にはいつも野菜や果 物といったご馳走があった。
当時はこれを拝 借することが空腹を満たすのには一番手っ取 り早かった。
拝借という言葉は響きがよすぎ るな。
ようするに畑泥棒ってやつさ。
どうすれ ば畑の番人に捕まることなく、お目当てのモ ノを手に入れることができるか。
それこそ?必 死〞になって、知恵を絞ったものだった。
夏のおやつは西瓜にかぎる。
なんてったって 甘くておいしいからな。
八百屋で買う? ま さか。
高くて無理。
西瓜こそ畑から拝借する のさ。
どうやって西瓜を手に入れたのか。
これ から説明するけど、あくまでも昔の話だからね。
くれぐれも今年の夏に真似しないように。
西瓜というのは大きくて重い。
これを畑か ら持ち出すのは至難の業だ。
小学生の頃はま だ体も小さいから、一玉を持ち上げるのも一 苦労だった。
運び出す途中で落としたら割れ てしまう。
モタモタしていたら、畑の番人に見 つかって叱られる。
最初はなかなかうまくいか なかった。
第14回「 子 供 の 頃 か ら ア イ デ ア マ ン 」 最近の若い連中にはハングリー精神が足りない。
中には骨 のあるヤツもいるが、大半はソフトで女性っぽい感じだ。
何 ひとつ不自由しない世の中だから、そうなってきたのかな。
仕事に対してハングリーになれない社員が増えているんじゃ ないかって心配になる。
昔はオレも含めてギラギラしている ヤツが多かったが……。
大須賀正孝ハマキョウレックス社長 ――ハマキョウ流・運送屋繁盛記 《前回までのあらすじ》 オレの話を聞いてみたい。
社 員にも聞かせたいという依頼が多い。
最近は月一〜二 回のペースで講演している。
昨年末は日本通運でも講 演する機会があった。
講演では台本なんて用意せず、毎 回思いつくままに話している。
61 MAY 2004 その場で食べて証拠隠滅 それでもどうしても西瓜が食べたい。
何かい いアイデアはないだろうか。
そこでオレはこう 考えたんだ。
持ち出すのが難しいのであれば、 畑の中で食べてしまおう、と。
持ち出そうが、 その場だろうが、西瓜を食べるという行為に 変わりはない。
わざわざ重い思いをしたり、番 人に見つかりやすいというリスクを負う必要は ない。
そうやって発想を転換したら、西瓜な んて簡単に手に入れることができた。
まずストローを用意してポケットの中に入れ ておく。
そして読書に耽っている麦わら帽子 姿の番人の目を盗み、匍匐(ほふく)前進の スタイルで葉の陰に隠れながら畑の中に入っ ていく。
お目当ての西瓜の横に辿り着いたら、 西瓜に穴を空けてストローを差し込む。
それ で準備は完了だ。
あとは中身をチューチュー と吸っていくだけ。
普通、西瓜は割って食べる。
しかしオレは なるべく割らないようにした。
番人に見つかっ たときのためだ。
中身だけをストローで抜き取 っていれば、西瓜の外形は変わらない。
だから 見つかっても番人に怒られない。
「食べていな い、証拠がないじゃないか」といって逃げ切る ことができるわけだ。
ただし、ストローで吸うと食べ終わるまでに 時間が掛かる。
面倒臭くなって割って食べた こともあった。
しかし、それができるのは番人 がいなかったり、監視の目が厳しくない時だけ。
基本的にはチューチュー吸って食べてしまうこ とにした。
割って食べた時はその後に葉っぱで 残骸を隠してから帰ってきた。
当然、西瓜には当たり外れがある。
甘い西 瓜もあれば、渋い西瓜もある。
ストローを差し 込んで吸ってみるまで、どちらを引いたのかわ からなかった。
しかし途中から大きい西瓜はそ んなに美味しくないことがわかった。
それから はなるべく小さい西瓜を狙ってチューチューや ることにした。
それでも外れを引くことがあった。
ところが、 しばらくすると今度は一〇〇%当たりを引け るようになった。
農家の人たちの動きをじっく りと観察していたら、ある日、実がなってから 収穫するまでに法則みたいなものがあることに 気づいた。
それ以来、渋い西瓜を掴まされる ことがほとんどなくなり、甘いものだけをおい しくいただけるようになったんだ。
西瓜というのは間引きしながら育てていく。
最初の実はかたちが歪(いびつ)で味もよくな いから捨ててしまう。
残すのは二つ目の実から。
そして一株につき十字型に四つの実がなるよ うに栽培していき、熟れ具合を見ながら収穫 する。
西瓜畑に出入りするようになって間もない 頃、オレはある程度の大きさになった西瓜を 適当に拝借していた。
しかしこれではダメなん だ。
本当は農家の人たちが収穫しようとして いる西瓜を、収穫の前日あたりに頂戴するの がベスト。
出荷直前の西瓜は熟れていて一番 おいしいからな。
農家の人たちはちょうどいい収穫のタイミ ングをどうやって把握しているのか。
その答え は意外と簡単だった。
実は農家の人たちは西 瓜の実の横に棒を立てた日から三五日経った ら収穫していた。
ということはそれよりも前、 オレは棒がささったのを確認して三〇〜三五 日までの間に西瓜を食べてしまえばいいわけだ。
例えば、赤色の棒がささったのが六月一日だ ったら食べ頃は七月五日前後。
黄色い棒がさ さったのが六月一五日だったら七月二〇日く らい。
そんな具合に西瓜を拝借すべき日が計 算できるようになった。
小学6年生の頃のクラス集合写真。
前から3列目、右から3番目がオレ。
ひどいことだけど、ちゃんと盗まれる相手のこ とも考えていた。
毎回同じ人の弁当を盗むよ うなことはしなかった。
きちんと順番を決めて 盗んでいたんだ。
つまり誰か特定の生徒をイ ジメていたわけじゃない。
毎朝、中学校では朝礼が行われる。
生徒た ちは校庭に集まる。
オレはその間に教室に忍 び込み、その場で弁当を食べちゃう。
そして 朝礼が終わる直前にいったん学校の外に出る。
しばらくしたら遅刻したふりをして、「おはよ うございまーす」と言いながら教室に入ってい く。
そんな手口だった。
いったん教室に入って鞄を机に置いてから 朝礼をサボると、弁当泥棒の犯人がオレだと ということがバレてしまう。
わざと遅刻するの はそれを避けるためだった。
他人の弁当を盗 み食いしていることが先生たちに知られたら大 変だ。
昔の先生は今の先生たちと違って迫力 があった。
悪いことをした生徒を平手打ちす ることなんて当たり前。
サンダルや靴で叩かれ ることも少なくなかった。
盗んだのはほとんどが女の子の弁当だった。
当時、男の子の弁当といえば、醤油をつけた 海苔が敷き詰められている海苔弁当か、ご飯 の真ん中に梅干しが一つだけのっかっている 日の丸弁当。
あまり美味しくなかった。
これ に対して、女の子の弁当には卵焼きが入って いたり、おかずがいっぱい。
特にお金持ちの家 のお嬢さんの弁当なんてとても豪華だった。
可哀想にオレに弁当を盗まれた女の子たち MAY 2004 62 女子生徒の弁当を狙う 西瓜の時期が終わると次は梨だった。
梨泥 棒は西瓜よりもちょっとテクニックが必要だ。
梨の実は木になる。
西瓜の時のように葉っぱ の陰に隠れることができない。
木の陰に隠れた いところだが、梨の木は幹が細いから体がちゃ んと隠れない。
畑に入って実をもぎ取ろうとす れば、必ず番人に見つかってしまう。
それでも番人にも死角があった。
木の上だ。
番人は梨畑に入ってくる泥棒がいないかどう か地面のあたりを中心にチェックしている。
木 の上には目を配らない。
だからオレは木の上か ら梨の実を頂戴することにした。
木の上から 手を伸ばして梨の実をもぎ取る。
番人は離れ たところにいるため、さすがに木の上の手の動 きを見つけるのは難しいだろうと考えたわけだ。
梨畑でも番人はいつも本を読んでいた。
畑 のほうに目をやるタイミングはいつも決まって いる。
オレは番人の目が畑から本に移った瞬 間、畑に入り猿のようにササッと木の上に登 る。
そうすれば番人はオレに気がつかない。
木登りに成功したら、あとはやりたい放題 だった。
無制限の梨狩りが続く。
梨畑の近く に小さな川が流れていたんだけど、そこにもぎ 取った梨をどんどん投げ入れていく。
すると、 下流のほうに友達が待っていて、投げ込まれ た梨を拾ってくれる。
分業体制ってやつだな。
そうやって手に入れた梨の味は最高だった。
川に投げ込んだ梨はちょうどいい具合に冷え ている。
なんともいえないおいしさ。
昔は甘い ジュースが飲める機会なんてほとんどない。
梨 はオレたちにとってジュース代わりだった。
秋は梨のほかにサツマイモなんかにも手を出 した。
これは知恵を絞るまでもなく、畑から抜 いてくるだけ。
それでも食べ方はちょっと工夫 したよ。
落ち葉を使って焼きイモにすると出 来上がるまでに時間が掛かる。
だから適当な 大きさに切って鉄板の上で焼いて食べるよう にしていた。
放課後のおやつには不自由しなかったけど、 それだけでは全然足りなかった。
問題は授業 始まる前。
家できちんと朝ご飯を食べてきて も、学校に行く途中で腹が減ってくる。
特に 中学生くらいになって体が大きくなってくると、 一日三食では不十分。
常にお腹が空いている ような状態だった。
そこで思いついたのが弁当の盗み食いだっ た。
盗み食いといっても先生の目を盗んで昼 休みよりも前に弁当を食べる「早弁」のこと ではない。
オレの場合、盗み食いとは学校の みんなが昼メシ用に持ってくる弁当を盗んで 食べてしまうことを意味する。
昼メシには自分の家から持ってきた弁当を 食べていた。
盗んだ弁当はオレにとって二回 目の朝食という扱いだった。
いくら食べても 物足りない。
すぐに腹が減る。
オレだけじゃな い。
当時、オレと同じくらいの年頃の男性は みんなそんな状態だったはずだ。
他人の弁当を盗むなんてひどい? そりゃ 63 MAY 2004 はシクシクと泣いていたよ。
恥ずかしくて弁当 を盗まれたことを先生に言えない子もいた。
女 性は男性に比べて食が細いとはいえ、弁当が なければ、午後にお腹がグーグーと鳴り始めた に違いない。
申し訳ないという気持ちがなかっ たわけじゃないけど、当時は他人のことよりも まずは自分自身のことで精一杯だった。
せめ てもの礼儀ということで、盗んだ弁当は残さ ずに全部食べるようにした。
それで許してもら える……。
そんなわけないよな。
弁当泥棒の代償 結局、弁当泥棒で捕まったことは一度もな かった。
盗みに入るクラスや学年をかえるなど 細心の注意を払っていたのがよかったみたいだ。
当時通っていた地元・浜北町(現・浜北市) の北浜中学は一学年に四五〇人の生徒がいる マンモス校だった。
そのため見つかりにくかっ たのかもしれない。
見事に時効が成立した。
ところが、あれから五〇年が経って、オレが 弁当泥棒だったことが同級生たちに知れ渡っ てしまった。
先日、オレの行きつけの料理屋 で同窓会を開いたんだけど、そこの女将さん が弁当泥棒の話を出席した連中に全部しゃべ っちゃったんだ。
そうしたら女の子たちが「(弁当を盗まれた のは)わたし、わたし」と言い出して大騒ぎに なった。
一人や二人ではない。
女の子のほと んどが被害者だった。
オレはひたすら謝るばか り。
顔から火が吹き出しそうなくらい恥ずかっ た。
それでも女の子たちは昔の笑い話として 水に流してくれた。
本当に助かった。
恩返しというわけじゃないけど、被害に遭 った女の子たちには今度、食事をご馳走する ことになっている。
それで当時の悪事をすべて 許してもらうつもりだ。
弁当よりも高くつい た? いや、その逆。
食事で満足してくれる なら安いもんだ。
同級生たちにはほかにも色々 と迷惑を掛けているからな。
こんな感じでオレは小さい頃、どうしようも ない悪ガキだった。
しかし、日本が豊かな国に なった今、生徒たちには畑の作物や弁当を泥 棒するという発想がないんだろうな。
お腹が空 いたらコンビニで何か買って食べればいい。
好 きな時に好きなモノを好きなだけ食べることが できる。
食べることへの執着心なんてない。
と てもいい時代だ。
しかし、いいことばかりじゃない。
豊かにな ったことでハングリー精神を持ったヤツがすっ かり減ってしまった。
ボーっとしていても何不 自由なく食べていける。
そんな恵まれた環境 にあるのに「もっとガツガツしろ」というのは 無理な話なのかもしれないな。
いまの若い連中は何とかして目的を達成し ようと知恵を絞ることを苦手としている。
与 えられたことはそつなくこなすが、応用が利か ない。
工夫して何かをやることができない。
勉 強は得意だから頭はいいんだろうけど、どうも 頭の回転は遅いような気がしてならない。
これに対して、オレは小さい頃から悪知恵 だけど、アイデアを出すことだけは天下一品だ った。
スイカや梨、そして弁当の泥棒もそうし た能力がなければ成功しなかった。
どうやれば 見つからずにお目当てのモノを手に入れること ができるか。
色々なことを試してみて、これっ という方法に辿り着いた。
家の商売の手伝いからも知恵を絞ることを 学んだ。
小学校高学年くらいから始めた家の 手伝いとは「うどん売り」のことだ。
毎日、放 課後に自転車で近所にうどんを売って歩いた。
親から与えられた販売ノルマをいかに早く達 成して、友達と遊ぶ時間を確保するか。
その ために売り方に工夫を凝らした。
物流通業の 原点はこの「うどん売り」での経験にあると 言ってもいい。
詳しいことは来月号にまわそう。
お楽しみに。
(以下次号に続く) おおすか・まさたか 一九四一年静岡県 浜北市生まれ。
五六年北浜中卒、ヤマハ 発動機入社。
青果仲介業などを経て、七 一年に浜松協同運送を設立。
九二年に現 社名の「ハマキョウレックス」に商号変 更した。
二〇〇三年三月に東証一部上場。
主要顧客はイトーヨーカ堂、平和堂、フ ァミリーマートなど。
流通の川下分野の 物流に強い。
大須賀氏は現在、静岡県ト ラック協会副会長、中堅トラック企業の 全国ネットワーク組織であるJTPロジ スティックスの社長も務めている。
ちな みにタイトルの「やらまいか」とは遠州 弁で「やってやろうぜ」という意味。

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