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事例で学ぶ
現場改善
日本ロジファクトリー
代表 青木正一
JUNE 2004 74
大手メーカーを脱サラ
物流会社M社は一〇年余り前に創業した物流
ベンチャーだ。 創業当時、S社長は二八歳とい
う若さだった。 学校を卒業して大手住宅設備メ
ーカーに就職。 六年間のサラリーマン生活を経
て脱サラしたのであった。
創業当初は実質的に前職の大手住設メーカー
の専属会社という状況であり、S社長が自らハ
ンドルを握っていた。 年商一億円強、車両一〇
台まで到達した頃に転機が訪れた。 右腕となる
人材が育ったことで、S社長は現場から離れて
営業に専念できるようになった。 「ドライバー」
から「営業マン」への転身である。
私がS社長と出会ったのは、この頃であった。
メールでの問い合わせをきっかけに実際に会う
ことになった。 初対面のS社長の印象はまさに
現場ドライバー。 真っ黒に日焼けしていた。 野
球の名門校出身というS社長の、創業から現在
までの経緯をうかがい、これから何をしていきた
いのか、ざっくばらんに話し合った。
S社長の話を聞いていて、私は物流業界に新
しい世代が確実に育ってきていることを実感し
た。 S社長は?運送業〞ではなく?サービス業〞
としてM社の経営を考えていた。 M社のドライ
バーには運送会社出身者がいなかった。 ドライ
バーは様々な業種から集まってきているが皆、サ
ービス業の基本ができている。 そのため荷主や
納品先から、挨拶ができる、マナーが良いと評
判が高かった。 そういう人を採用してきたのだ。
M社がサービス業を「前提」にしているという
所以である。
またM社ではドライバーといえどもパソコンを
使えるのが当たり前だ。 実際、入社間もない新
人ドライバーからベテランまで全員がパソコンに
よる月報を作成していた。 月報の一番下には納
品先の現場で職人さんから出た要望や意見など
を書き込む欄がある。 この内容を荷主に定期的
にフィードバックしていた。 「現場の生の声が聴
ける」と評判であった。 「物流業はサービス業である」と唱え続けて一〇
年以上になる。 しかし市場の実態を見る限り、物
流会社の意識に大きな変化があらわれていると
は言えない。 経営者の考え方は変わっても現場
が変われない。 ところがS社長を筆頭とするM
社は真にそれを実践しようとしていた。
ダイレクトメールで荷主開拓
しかし、いくら志が高くても、ビジネスを拡
大させるには、その「サービス」を理解してもら
える荷主が必要である。 私とS社長は効果を出
せる営業方法とそのための営業ツールの作成か
ら取りかかることにした。
当時のM社は、基本的な営業ツールといえる
第18回
脱サラして運送業を創業した若手起業家。 自らハンドルを握るドライバー兼
社長として出発し、「物流業はサービス業」という信念の下、徐々に事業を拡大
させてきた。 しかし売上高一〇億円を目前にして成長の壁に直面する。 創業以
来の右腕が退社したことで、社長として改めて会社の存在意義を問い直す必要
に迫られた。
物流起業家の挫折と成長の物語
75 JUNE 2004
値下げされて採算が合わなくても対応していく
しか道がなくなる。 つまり?業者化〞するしか
ないことを知るべきだろう。
さて、M社の見積もりに対して、最初に中堅
木材卸会社の配車担当者から具体的に今後の進
め方を詰めたいという連絡が入った。 それまで
この会社は協力物流会社四社と取引していたが、
配車担当者は各協力会社の業務品質に疑問を感
じていた。 そこにM社から社長宛のダイレクト
メールが届いた。 ダイレクトメールは社長から
配車担当者に回され、問い合わせ→見積もりと
いうアクションにつながった。
M社には強みがあった。 メーン荷主である大
手住設メーカーの業務を請け負っているという
実績が、?ブランド〞として利用できたのだ。 「あ
そこの物流をやっているのであれば品質は安心」
という評価が得られた。 これが中堅木材卸会社
の案件でも活きた。
この中堅木材卸会社はチャーターで二tロン
グ車を一台導入することを決め、その三カ月後
には二台目の車両を投入することになった。 今
では同社の委託車両十二台の内、一〇台をM社
が担うまでになっている。
朗報はさらに続いた。 結局、ダイレクトメー
ルをきっかけに見積もり提出まで至った三社す
べての業務を受託することに成功した。 これに
よってM社は、空き車両になっていた四台をフ
ル稼動させることができるようになった。
ドライバーに名刺セットを配布
新規の現場対応が落ち着いた二カ月半後、S
社長と次の営業活動について話し合った。 「この
調子で新規が入れば現場品質が落ちるかもしれ
ない。 また、増車のための資金も必要になって
くる。 しかし、そうした課題は工夫によって解
決できるはずだ。 それよりも今は全社的に一丸
となって営業活動をしたい」というのがS社長
の想いであった。
私は我々の長年の願望であった営業ツールを
M社に導入することをS社長に提案した。 長年
の願望とは「?ドライバー用名刺」である。 な
んだと思われる方も多いだろう。 今時、大学生
でもサークルの名刺などを持っている時代であ
る。 実際、名札や車両にネームプレートを付け
ている物流会社は珍しくない。 しかし、私に言
わせれば、それはあくまで荷主から「見てくださ
い」の姿勢である。
我々が提唱する「サービス業」は自らPRす
る「見てもらう」である。 「見てください」とは、
大きなギャップがある。 ドライバーやスタッフた
ちが名刺を持つことによって社名と名前を覚え
てもらう。 M社の場合は全ドライバーの名刺を
作成した。 もっとも作成したのは良かったが、誰
も名刺入れを持っていない。 そこで社長はポケ
ットマネーで全員に名刺入れをプレゼントした。
こうしてM社のドライバーは「?ドライバー
用名刺」と「?会社案内」をセットにして住設
部材の納品先で職人さんたちに配って回った。 次
第にドライバーは名刺を渡すことが喜びとなり、
新たに刷ってもすぐなくなってしまうというドラ
イバーも出てきた。
M社の事例から、私はドライバー名刺には予
想外のメリットがあることも教えられた。 「名刺
を持つことで、ドライバーたちが自分の仕事に
「?ホームページ」と「?会社案内」自体が、か
なりお粗末な出来だった。 まず、それを作り替
えた。 次に「?ダイレクトメール」を作成した。
ただし営業マンはS社長一人。 訪問できる件数
は限られている。 送付先はM社の得意とする住
設関連を中心に、またエリアに関しても、せっ
かく問い合わせいただいたお客様をお断りする
ことのないよう、厳選して絞り込んだ。
S社長と相談の上、ダイレクトメールの第一
弾として六六通を送付した。 我々の常識からす
れば少なすぎる数だった。 これまで我々が手掛
けてきた案件では、ダイレクトメールは一〇〇
〇通単位で送付するのが常だった。 平均的なレ
スポンス率は一%前後。 そのうち五〇%が受注
までこぎ着けるというのが、これまでの実績であ
った。 六六通という少量送付には一抹の不安が
あった。
しかし、不安は取り越し苦労に終わった。 送
付後一週間で六件の問い合わせがあった。 その
なかでぜひ話を聞きたいという会社が四件あっ
た。 S社長は積極的に日程調整し、四社を訪問
した。 運賃相場の情報を知りたいだけという?冷
やかし〞が一件あったが、残り三件は前向きに
物流会社を探しているようだった。 とりあえず
見積書を提出するところまで進んだ。
仕事柄、私は全国各地の物流会社経営者と話
をする機会が多いが、「今時、新規荷主は会って
もくれない」、あるいは「こちらから営業に出向
くと逆に運賃を叩かれる」など、前時代的なセ
リフを口にする経営者がいまだに珍しくはない。
そういう発想から脱却できない運送会社は、既
存荷主の要望を全面的に聞き入れ、運賃交渉で
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誇りを持ち始めた」というのである。 また「子
供たちにお父さんの仕事を伝えることができま
した」といったドライバーもいた。 名刺は営業
ツールであると同時に、ドライバーのモチベーシ
ョンツールにもなっていたのであった。
この「?ドライバー用名刺」は受注に対して
即効性はなかったものの徐々に現場職人の間に
浸透していった。 配布活動開始からほぼ半年が
経った頃、大手キッチンメーカーの営業部長か
ら一本の電話が入った。 「オタクのことをあると
ころから聞いた。 ついては相談したいことがある
ので一度会いたい」という話であった。 誰もが
社名を耳にしたことのある大手メーカーだ。 S
社長は喜びと期待に胸をふくらませて会談に挑
んだ。
「Y社(大手住設メーカー)の仕事を請け負っ
ているんだってね。 今度うちで新しい取り組み
をするのだが、S社長のところで検討してもら
えないかね」と、メーカーの営業部長。 具体的
には配送、搬入から施工までを一括して対応で
きないかというものだった。 M社としては、配
送、搬入そして簡単な取り付けは経験があった
が、「施工」は未知の世界であった。 しかし、先
方は施工の技術自体は必要ないという。 「施工会
社を紹介するので全体で管理してもらえれば良
い」というのであった。
S社長は紹介された施工会社の社長との話し
合いを重ね、業務の一貫性が取れるまでの合意
を取り付けた。 幸い施工会社の社長にも、ひと
まわりほど若いS社長の熱意が伝わったようだ。
こうして、新たな?受注ブランド〞となり得る
大手キッチンメーカーの仕事がスタートした。
M社は忙しい日々を送っていた。 車両も足り
なくなり、四台増車した。 二台はリース、二台
は借入れによるキャッシュで購入。 ドライバー
の採用にも奔走した。 M社の?サービス業〞に
合うドライバーは簡単には見つからない。 求人
誌、ハローワーク、紹介などあらゆる手段を使
って、なんとか集めた。
物流業の成長の壁
大手キッチンメーカーの業務を請け負ってか
らも現場品質向上に注力しながら、並行してダ
イレクトメール営業、ドライバー名刺活動を続
けた。 こうしてM社は成長軌道に乗った。 売上
規模、保有車両台数、ドライバー数とも順調に
増加していった。 看板も新調することにした。 そ
してついに売上高七億円、車両五八台という規
模になり、零細企業から中小企業に脱皮したの
であった。
一般的に物流会社は売上高で一〇億円、三〇
億円、六〇億円、一〇〇億円という段階で、そ
れぞれ成長の壁にぶつかる。 実際、各段階の手
前で停滞する会社が多い。 ヒト、モノ、カネ、情
報ノウハウそして何よりも経営トップの能力が
会社の成長についてこれないためだ。
具体的には「一〇億円レベル」では営業力の
パワーアップが必要になる。 「三〇億円レベル」
では所課長の成長が課題になる。 さらに、「六〇
億円レベル」は資金調達。 「一〇〇億円レベル」
になると、サービス・業務の創造による脱・物
流業の実現が求められるようになる。 また人材
確保については、「六〇億円レベル」で人材の量
と質、「一〇〇億」で適正な配置がカギになって
くる。
これまで順調に発展してきたM社も売上高一
〇億円を前にして閉塞感が出てきた。 直接的な
課題は「ヒト」と「カネ」である。 このうち「カ
ネ」は地銀から売上二カ月分のコミットライン
を取り付けるに至ったが、問題は「ヒト」であ
った。 組織を統制するには一般に七人に一人の
割合で管理者が必要になると言われる。 しかし
M社の場合はS社長の右腕以外に幹部が育って
いなかった。 現場スタッフやドライバーを育てる
ことには一応の手応えがあったが、中間管理職
と経営感覚を持ったコア人材が不足していた。
もっとも、このようなM社の課題は大半の物
流会社いや会社一般に共通した悩みだとも言え
るだろう。 私が駆け出しの頃、(今も駆け出しで
あるが…)ある物流会社の社長から聞いた話を
思い出す。 「青木君、会社の発展は創業の三〜四
年でどれだけ優秀な人材が集まるかで決まってしまうよ」。 至言だと思う。 創業メンバーはお金がない、仕事がない、知
名度もない、信用もない、というなかで寝食を
忘れて働いた経験をトップと共有している。 し
かし創業から四〜五年を過ぎて入社してきた社
員は、そうした経験が育んだ価値観を、言葉と
しては理解できても実感はできない。 どうして
も温度差が生じてしまう。 M社も同様であった。
今や社員のほとんどが、ハンドルを握るS社長
の姿を見たことがない。
いかなる会社であっても「二:六:二の原理」
は絶対に崩れない。 二割は元々優秀な人材、六
割は研修などの刺激により成長する人材、残り
二割は「猫に小判」でどうしても変われない人
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材である。 会社の発展は最も構成比の高い六割
の人材をどのように導き、モチベーションを上
げ、意識とスキルを向上させるかにかにかかっ
ている。
また、この六割の人材は一時的にモチベーシ
ョンが上がっても、そのまま放って時間が経て
ば、元に戻ってしまうという特性を持っている。
教育・育成の観点からは「継続する」ことが重
要である。
創業以来の右腕を失う
中間管理職および経営幹部をどうやって育成
するか。 M社の場合は外部から採用する道を選
んだ。 S社長の「時間がない」という意向を重
視した判断だった。 物流業界専門の人材紹介会
社を活用して中間管理職の候補者の選定を進め
た。 一〇人程の履歴書が送られてきた。 そのう
ちS社長の目に留まったのは中堅物流会社出身
の所長経験者と上場物流会社出身の本社管理経
験者であった。
紹介会社のカウンセラー同席のもと、二人の
面接を行った。 S社長はそのうち中堅物流会社
出身者が気に入った。 その候補者自身もS社長
に魅力を感じたようだった。 現場見学と業務説
明を行うために再度来社してもらった。 そこで
待遇面でも合意し、正式に採用となった。 こう
して「中間管理職」の空席は埋まったが「経営
幹部」の採用は更に難航した。 結局、幹部の採
用は時間をかけて長期戦で臨むことにした。
新たに採用した中堅物流会社出身者は前職で
の経験をうまくM社に注入した。 これが刺激に
なって次第に社内の閉塞感は薄らいでいき、徐々
に新たな社風が形成されつつあった。 S社長に
笑顔が戻った。 相変わらずトップセールス体制
は続いていたが、まだ営業責任者を採用して経
費を吸収できるレベルではなかったため我々も
静観することにした。 こうして創業から一〇年が経った。 継続的な
営業が実を結び、荷主数は創業当初の五倍の一
五社に増えていた。 売上高も一〇億円が目前と
なった。 ここで普通であれば第一ハードルの「壁」
が目の前に立ちはだかるはずだが、M社の場合
は「営業力のパワーアップ」はクリアしていた。
私から見ても住設分野に特化したサービスを強
みとするM社の営業力には二〇億円クラスのパ
ワーがあった。
しかしM社は別の壁に直面した。 ある年の冬
のボーナス支給後、右腕である幹部から「辞職
願」が提出された。 晴天の霹靂であった。 詳し
く話を聞くと彼は「長年M社で勤めてきました
が、私はまだ若いので新しい自分を見つけてみ
たい。 転職にはラストチャンスと思い、決心し
ました」とのことだった。
最近の転職者はよく勉強している。 転職情報
誌や転職サイトの普及によって、一昔前とは情
報量が格段に違う。 優秀でかつ若い人材は自分
の労働価値をいろいろな角度から測ることがで
きる。 自分の勤めている会社が世間的に良い会
社かそうでないかを判断する材料も豊富だ。 物
流会社に限らず魅力的な会社づくりは優秀な人
材を確保し、戦力として働いてもらうためには
欠かせないテーマとなっている。
S社長はショックを隠せなかった。 げっそり
した顔で完全に落ち込んでしまっていた。 創業
者にとって創業メンバーとの別れはいかなる理
由であってもつらいものである。 我々は気持ち
を切り替えて次のアクションを考えた。 右腕の
退職のことも含め、M社に何が足りなかったの
か。 何が「壁」だったのか。
答えは「将来ビジョン」であった。
キーマンが退職すると、多くの採用担当者は
「我が社に優秀な人材がこないのは給料が安いか
らである」と考える。 それは間違っている。 現
に我々のクライアント(物流会社)でも給料は
安いが優秀な人材を獲得している会社は少なく
ない。 結局、トップの魅力と将来ビジョンの中
身に若い優秀な人材は集まるのである。 パソナ
グループ南部靖之代表の言う「この指とまれ」
である。
面接というものをはき違えている会社も多い。
「求職者を選抜する」のではなく「自社が選抜さ
れている」事実を先ず認識しなければならない。
とりわけ中小企業の場合には、トップ自ら面接
官になり、ビジョンを語り、自社をPRするこ
とがいかに重要であるかがおわかりいただけると
思う。 M社の場合、S社長の魅力の部分はクリ
アしている。 「将来ビジョン」がなかったのであ
る。
経営ビジョンがなぜ必要か
こうして我々はM社の「将来ビジョン」を明
文化することになった。 といっても「将来ビジ
ョン」はトップの頭の中と心にある。 我々のよ
うなコンサルタントが口を挟むようなものではな
い。 しかし、将来ビジョンという言葉にS社長
は腰が引けてなかなか中身が出てこない。
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そこで、まず我々はマトリクスを作成した。 縦
軸には「やっていること」「やれること」「やりた
いこと」「やってはならないこと」。 横軸に「ヒ
ト」「モノ」「カネ」「情報」「会社」「組織」「他」
というフォーマットを作った。 そして、このマト
リクスを埋める形でS社長にインタビューして
いくことにした。 我々が数社の事例を挙げ、こ
れというものをチェックしてもらいながら、S社
長の考えをマトリクスに埋め込んでいった。
こうしてマトリクスを作成したが、ビジョンは
社長が自分の言葉で語らなければ血の通ったも
のにならない。 S社長に自分の想いを整理して
もらいながら、その後数回の話し合いを持った。
わずかな期間で全ての欄を埋めることは不可能
だったが、主要な部分、何をやりたいか、将来
どれくらいの規模を想像できるかなど、できる
ところから決めていった。
物流会社の場合「業務の委託を受ける」とい
う商売上の特性の影響もあるのか、自ら打って
出る戦略や方針というものが欠落していること
が多い。 システム開発やセンター設立といった
事柄を戦略として掲げるのがせいぜいである。 し
かも、これらの事柄もあくまで荷主の要請・依
頼を「受けて」のことである。 業界の体質その
ものが受け身になっている。 だからこそ、将来
ビジョンや方針戦略といった能動的な考えとア
クションが活きてくるのである。
M社のS社長は未完成のままの将来ビジョン
を片手に、多くの社員と対話した。 社員からも
「いずれは名古屋にも拠点がほしいですね」とい
うような意見が出てきた。 こうした社員との対
話を通じて、S社長は社員の目線から会社を「診
る」ことの重要性を感じていった。
右腕が退社して六カ月後、再び私はM社を訪
れた。 朝早い時間だったため、出発前のドライ
バーや本社スタッフが数人事務所にいた。 何か
雰囲気が変わった気がした。 S社長と荷主から
の問い合わせについてやり取りしている若手が
いる。 彼は退職した幹部の部下であった。 生き
生きと仕事をしている。 私はこのことをS社長
に伝えた。 S社長はこの若手をまもなく部長に
昇格させるつもりだという。
右腕幹部の退職直後は会社にとって大きな打
撃であったが、現在では次の若手が頭角を現し、
その穴をほぼ埋めかけていた。 総じて会社は、あ
る一定の規模と人材がいれば自然治癒力が働く。
M社もそうであった。 ポストがヒトを創る。 優
秀で志の高い社員には仕事を任せてとその責任
を与えるべきだ。 多少の失敗は「教育費」とし
て織り込んでおけば良い。
直近の決算でM社の売上高は十二億円に達し
た。 ようやく一〇億円の壁を破ることができた
のだ。 M社は平均年齢三〇才という、まだ若い
会社だ。 今後のM社の発展は将来ビジョンの完
成と若手の活躍にかかっている。 会社というも
のはヒトに始まり、ヒトで発展していくしかない
のである。
経営ビジョンワークシート
ヒ ト モ ノ カ ネ 情 報 会 社 組 織 その他
やっていること
やれること
やっては
ならないこと
短期
(1〜2年)
中・長期
(3〜4年)
将来
(5年〜)
やりたいこと
あおき・しょういち
1964年生まれ。 京都
産業大学経済学部卒業。
大手運送業者のセールス
ドライバーを経て、89年
に船井総合研究所入社。
物流開発チーム・トラッ
クチームチーフを務める。
96年、独立。 日本ロジフ
ァクトリーを設立し代表
に就任。 現在に至る。
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