ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年10号
ロジスティクス経営講義
eトラストチェーンのメカニズム

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多摩大学大学院
達味魯魁璽 OCTOBER 2004 56 1 . はじめに eコマースには、売り手、仲介業 者、商品、配送、決済、データの機 密保持などあらゆるところに不確実 性が潜んでいる。
取引の不確実性を 減じる上で大きな意味をもつのが、ト ラスト=信頼の形成である。
トラス トとは一般に「自分が期待するよう に他人が行動するという期待(trust is based on the expectation that others will behave as expected )」 をいう。
eコマースで生き残る最もク リティカルな条件は、バーチャルな空 間でどれだけトラストを獲得できるか にあるといっても過言ではない。
ところが、eコマースには実にさま ざまな結びつきのパターンがあって、 トラスト形成のあり方はそれほど単 純ではない。
たとえば、自動車メーカ ーとサプライヤーの関係では長期的 な契約に基づいて取引が行われるが、 ネット・オークションは見ず知らずの 者同士がその都度出会うスポット取 引である。
この二つだけをみても、両 者でトラストのもつ意味は明らかに 異なっている。
ここでは、Web上の取引に関わる 売り手―買い手間のトラストを「e トラスト」と呼び、その連鎖に焦点 を当てる。
本稿でとくに注目するの は、アドホックなスポット取引におけ るeトラストの形成である。
なお、トラストチェーンということ ばは、医療関連の電子データの機密 保持とインテグリティの連鎖を定め た米国のHIPAA(The Health Insurance Portability and Accountability Act of 1996 )が使う ? chain of trust 〞と同義ではない。
本稿では、そうした技術面に加え、 取引に関わるすべてのモノ、カネ、デ ータの流れにおける包括的なトラスト の連鎖を指して、これをeトラストチ ェーンと呼ぶ。
以下では、まず「トラ スト」をキーワードにして理論面から アプローチしていき、eトラストチェ ーンにおけるロジスティクスの意義に ついて考えることにしたい。
2 . トラストの概念 トラストに関する研究は、ほぼ半 世紀前から、社会学、心理学、経済 学、経営学などの領域で取り上げられてきた。
リアル・ビジネスのトラス ト形成とバーチャル・ビジネスのそれ とは、どこがどのように異なるのか。
近年、このテーマは、eコマースに携 わるビジネスマンの実務的な問題で あるとともに、研究者にとっても興 味の尽きないテーマであった。
まず、社会学や経済学でのトラス トの概念を整理することにしよう。
「ト ラスト」について基本定義を与える eトラストチェーンのメカニズム eコマースの成否は、相手の見えない取引における「トラス ト=信頼」の形成にかかっている。
eコマースがもたらしたオー プンな社会で、いかに取引をクローズに完結させるか。
そこでは ロジスティクスも重要な役割を果たす。
●●● 多摩大学大学院 客員教授 佐々木宏 57 OCTOBER 2004 のが社会学である。
ニクラス・ルーマ ン(1979; ? Trust and Power 〞)は、 トラストは社会的な複雑性を減じさ せ、リスクが大きいほどその役割が重 要になるといい、親和性がその前提 条件になると述べている。
また、ピーター・ブラウ(1964; ? Exchange and Power in Social Life 〞)は経済的交換と社会的交換を 比較し、社会的交換では他者の特定 されない義務を伴うため信頼が必要 だといい、ミルグロム&ロバーツ ( 1997; 『組識の経済学』)もまた、 「契約に費用がかかり不完備でしかあ りえない社会では、トラストは大多 数の経済取引を実現する上で欠かせ ない」と指摘している。
一方で、不確実性が大きい状況下 では相手の期待を裏切り利己的な行 動に走るという選択肢もある。
ジョー ジ・ソロス(2000;?Open Society 〞) は、インターネット環境では市場メカ ニズムに重要な変化が起こり、継続的 な取引関係は『個別取引(individual transactions )』に代替されるという。
すると、囚人のジレンマの例のように 信義(loyal )を守らず裏切るほうが 合理的だということになってしまう。
そのため、個別取引中心の社会は社 会的価値(social value: 他人への配 慮、個人より優先すべきコミュニテ ィ全体の利益)を損ない、道徳的抑 制力(moral constraints )を緩めて しまうと警鐘を鳴らしている。
ただし、 外部的な抑制力は失われても内部的 抑制力は残っているかもしれないと、 一縷の望みをかけている。
オリバー・ウィリアムスン(1975; ? Markets and Hierarchies 〞)のい う機会主義は、個人の限定合理性、情 報の非対称性や隠された情報の存在、 あるいは品質等の測定困難性から生 まれるとされる。
eコマースでの機会 主義的行動として、ネット・オークシ ョンの売り手が出品物の瑕疵を隠す (逆選択)、B2Bのパートナーに対し 事前に約束したものより低いスキルし か提供しない(モラルハザード)、取 引パートナーにSCMのための高価な 設備を導入させた後に取引の価格交 渉を行う(ホールドアップ)など、事 実さまざまなものが想定される。
では、果たしてeコマースから機 会主義を排除し、トラストを理念と する理想的な経済的交換システムを 構築することが可能であるのか。
これ が理論から演繹されるeトラストへの 本質的な問いかけである。
3 . eトラストの形成 サプライチェーンにおけるトラスト 形成についてはマーケティング関連、 チーム・組織・組織間関係などのト ラストについては組織論関連、IT とトラストとの関係はMIS関連 ( Management Information Systems ) の研究で、それぞれ詳細に検討が進 められてきた。
ここでは、紙面の制約 からマーケティングとMISの領域 に絞り、その一部を紹介する。
(1)マーケティング研究 マーケティングは、対消費者のマ ーケティングと生産財マーケティング の違いにかかわらず、いずれも主に焦 点企業(focal firm )を中心にしたB 2CやB2Bの関係を対象にしてい る。
そのため、ネット・オークション など個人対個人(C2C)の『個別 取引』よりも継続的な取引を想定し たリレーションシップ・マーケティン グに力点がおかれる。
マーケティング論からアプローチす ると、Webサイトを整備して顧客と 直取引を行うことはチャネルの多様 化戦略、CRMは顧客をセグメント 化して囲い込み、リピート取引を促 進させる戦略と位置づけられる。
また、自社がeマーケットプレース を立ち上げる場合、チャネル戦略の 一環である場合もあれば、まったく 新しい新規事業である場合もある。
さ らに、売り手―買い手間には、トラ ストやコミットメントと同時に、パワ ーやコンフリクトに関わる現象が存 在し、機会主義の脅威も無視できな い。
こうした複雑な現実のなかで、リ レーションシップ・マーケティングが 実践される。
継続的取引のトラストとは、長期 的な関係と協働(cooperation )の成 果である。
買い手のトラストを獲得 す る た め の 売 り 手 の 前 提 条 件 ( antecedents )には、評判、ブラン ド、規模、関係特殊的な投資の有無、 買い手との取引の経験度合いなど、実 に多くの要因がある。
チャネル満足 度もまた、製品、価格、配送、ハン ドリングコスト、サービス品質などさ まざまな要因から構成される。
売り手に対するトラストは、取引 開始前に初期トラスト(initial trust ) があり、取引継続とともに親和性が 高まり、トラストが強化されるととも に満足度も高まるというメカニズムが 浮かび上がってくる。
(2)MIS研究 MISの領域では、八〇年代より EDI研究が開始され、九〇年代に OCTOBER 2004 58 はそれがSCMへと発展、ダイアデ ィックなタイプのB2B研究が進め られた。
EDI研究は、競争戦略論、 マーケティング論、取引コスト論、イ ノベーション論の複合領域として、ほ ぼ位置づけられる(佐々木:2001; 『B2B型組織間関係のマネジメン ト』)。
その後、eマーケットプレース が登場し、IT革命ということばが 流布されると、多対多の結びつきや 情報化社会全体のあり方をテーマに した研究が数多くみられるようになっ た。
MIS研究では、すでに八〇年代 よりITが組織間関係を継続的関係 かアドホックな市場取引かのいずれに 向かわせるかについての議論がなされ ている。
まず、マローンら(Malone et al ., 1987 )は、ITが組織間のコ ーディネーション・コストを削減する ことから、全体として市場取引へシ フトするとした。
これに対し クレモ ンスら(Clemons et al ., 1993 )は、 オープン型ITはコーディネーショ ン・コストの削減と機会主義リスク を同時に低減させることを可能にす るため、企業は少数のサプライヤーに 信頼をおき、親密で長期的な関係を 築くとする。
前者は「市場へ向かう仮説(Move to Market Hypothesis )」、後者は 「中間に向かう仮説(Move to Middle Hypothesis )」と呼ばれた。
結論的に は、そのいずれも正しく、取引内容 やプレーヤーの種類によって最適な 方向に向かうと考えてよい。
なお、い うまでもなく『個別取引』のトラスト 形成に関連が深いのは前者の方であ る。
eコマースは、取引がフェース・ツ ー・フェースでなく、Webを使った コミュニケーションが行なわれること、 新しいIT関連技術が次々と取り込 まれていくことなどに特徴があり、そ こに暗黙的な不確実性が存在する。
M IS研究では?技術がトラスト形成に 与える影響や、?Web環境に埋め込 まれた制度的トラスト(institutionalbased trust )などのスペシフィック な問題にも関心が向けられる。
?では、eコマースを行なう際に新 技術=ITを採用しなければならない 点に着目する。
MIS研究で広く受 け入れられている伝統的実証モデル ( TAM: Technology Acceptance Model )では、利用の容易さの認識 ( perceived ease of use )と、利用価 値の高さの認識(perceived usefulness )が組織の新技術採用に影響を 及ぼすとされており、この二つの要因 がeコマースのイニシャルトラスト形 成に重要な意味をもつと考えられた。
?の制度的トラストとは、フェア なルール、手続き、取引の結果に対 する制度的、構造的なトラストをい い、具体的には価格付けのフェアネ ス、本人認証、正確な情報提供の保 証、エスクローサービス、キャンセル やペイバックポリシー、クレジットカードの保証などが含まれる。
とりわけ、セキュリティ(データの 破壊、開示、改ざん、詐欺、悪用な どの脅威の防止)、プライバシー(買 い手情報の二次的利用のコントロー ル)、この二つの制度的要因がトラス ト形成にどのように影響するかが分 析されている。
パブロウら(Pavlou et al ., 2004 ) の最近の研究によると、アマゾンドッ トコムのオークション利用者をトレー スした調査から、フィードバックメカ ニズム(特定の売り手に関するフィー ドバック情報)とメディエーター評価 (アマゾンに対する評価)のいわばマ ーケット要因のほうが、エスクローサ ービスやクレジットカード保証などの 付帯要因よりも、トラスト形成への 影響がより大きいことが把握されて いる。
しかしながら、現時点でもなお、ト ラスト形成のメカニズムが完全に明 らかにされたとはいえない。
そもそも トラストの概念自体が不統一なため、 実証研究において混乱が生じている との指摘がある。
たとえば、トラストを一般的信念 ( general belief )だとみる立場と、特 殊な信念の集合(a set of specific beliefs )だとみる立場の二つが混在 しているという批判がある。
後者の 立場では、取引の遂行能力(ability )、 誠実さ(integrity )、相手が利己的で ないとみる信任(benevolence )の程 度などがトラストの属性(attribute ) とみなされる。
ところが、この「信任」についても、 売り手が機会主義のチャンスがあっ てもコストがかかり合理的でないと判 断して協調する信用性(credibility ) と、機会主義のチャンスがあっても善意(goodwill )から機会主義をとら ない思いやり(benevolence )を区別 すべきだという意見もある。
4 . eトラストチェーンと ロジスティクス eコマースでの『個別取引』では、 売り手同士、買い手同士、取引の仲 介者であるメディエーターなどが多種 多様に結びつく。
先述のアマゾンド ロジスティクス経営講義 59 OCTOBER 2004 ットコムでは、購入したい書籍が見 つかると中古書籍のeマーケットプレ ースにアクセスして、現在どのような 売り手がいくらで出品しているかを 同時に画面に表示する。
また、価格ドットコムのように、あ る商品がどこで最も安くネット販売 しているかを検索するサービスもある。
このとき、買い手からみると、eコマ ースのポータルサイトを起点にして売 り手のバーチャルなリンクが次々と連 なっているようにみえる。
すると、ハ イパーリンク先に対するトラストはリ ンク元サイトのトラスト形成にも影 響を及ぼしているに違いない。
同様に、Web上の買い手同士のネ ット・コミュニティーは、売り手の評 判やトラスト形成に大きな影響力を もっている。
さらに、eマーケットプ レースの取引の場を提供するメディ エーターは、制度的トラスト形成へ の責務を負う。
以上のことから、『個別取引』の典 型例であるネット・オークションのe トラストチェーンの構造は、図1のよ うになると考えられる。
このとき、取 引に付随するロジスティクスは、トラ スト形成における不可欠な要素のひ とつとなる。
取引対象の商品が、ネ ット上で交換できる無形のデジタル 商品やサービスでなく、配送を要す るリアルな商品である限り、ロジステ ィクスとトラストチェーンの問題を切 り離すことはできない。
商品購入に際して、買い手は商品 が手元に届く前に重要なプライベー ト情報を開示し、支払い手続きも完 了している。
Webでの取引完了から 商品入手までの空白期間は、日々コ ンビニで買い物をするときとは比べる ことができないようなリスクを抱えて いる。
このことは、ロジスティクスの もつ意味がそれだけ大きいことを示し ている。
一方、物流業者は、より積極的に eトラストチェーン形成を担うビジネスに参入することもできる。
たとえば、 ヤマト運輸の「宅急便エスクローサ ービス」を考えてみよう。
これは、ネ ット・オークションで取引された商 品の配送と代金回収を行なうサービ スであり、モノとカネと情報の流れを 一体化して、eトラストチェーンを統 合・強化する仕組みとして機能して いる。
トラストは、一部にヒビが入ると 全体が傷つく。
オーケストラでたった ひとりでも不協和音を出せば、全体 の調和が損なわれるのと同じ原理で ある。
機会主義を排除するひとつの 方策は法律の整備や規制の強化であ るが、eコマース問題の本質は、技 術が先行してオープンな社会が実現 したあとで、いかに取引をクローズに 完結させるか、というところにある。
クローズなものをオープン化するよ りもオープンなものをクローズ化させ るほうが、はるかに難しい。
遅れてい る法律の整備などをリアクティブに 待つだけでなく、ネット社会自らがソ ロスのいう内部的抑制力を高める努 力をしていかなければならない。
この とき、ロジスティクスは単に「コス ト」として位置づけられるべきもので はなく、バーチャルとリアルな世界を 結び付け、eトラストチェーンを強 化していく重要な役割を担っている のである。
佐々木宏(ささき・ひろし) 筑波大学大学院経営政策科学研究科修士課程修了後、大阪 大学大学院経済学研究科修了。
博士(経済学)。
金融系シン クタンクにて経営コンサルティングに従事後、桃山学院大学 経営学部教授を経て、現在立教大学社会学部教授。
1999年 ミシガン州立大学客員助教授。
主な著書に「Bto B型組織 間関係とITマネジメント--EDI採用と普及に関する卸売業者 の分析」(同文館)、「新版図解経営情報システム」(同)な どがある。
多摩大学大学院CLOコースでは「eマーケティン グ論」を担当している。
PROFILE 図1 ネット・オークションにおけるeトラストチェーンの構造 売り手B 売り手A 売り手ハイパーリンク メディエーター (仲介業者) 買い手ネットコミュニケーション 買 い手A' 買い手B' モノの流れ カネの流れ

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