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事例で学ぶ
現場改善
日本ロジファクトリー
代表 青木正一
OCTOBER 2004 70
現場に甘すぎる経営者
今回は生き残る物流会社の共通点とその秘訣、
消えゆく可能性のある物流会社の問題点を当社
がコンサルティングを手がけた四社の改革事例
を通して探っていくことにする。
初めに紹介するのは関西に基盤を置く地場の
物流会社A社である。 年商は約四億円。 車輌三
五台と延べ一〇〇〇坪のセンターを所有してい
る。 創業社長が現在も経営指揮を執っているが、
三年後には息子の専務に経営を委ねる予定であ
る。
A社はK社長の並々ならぬ努力によって創業
期に優良大手荷主を数社獲得していた。 輸送業
務からセンター運営に業務内容を拡大し、着々
と基礎を固め、経営は順風満帆だった。 ところ
が一時期から、このような成長期によく見られ
る「社長のおごり」が出始めた。 それが深刻な
労働争議を招いてしまった。
A社の労働争議は一〇年にわたって続いた。 地
元では今でも語り草になるほどの壮絶な戦いで
あった。 その影響から優良大手荷主が一つ、ま
た一つとA社との取引を停止するようになって
しまった。 同時に長期間の労働争議はK社長の
心身を深く蝕んだ。 K社長は経営に対する自信
をすっかり失くしていた。
私がK社長と出会ったのはそんな頃である。 K
社長との話し合いで、失われた荷主(売り上げ)
の巻き返しと組織力の強化、資金繰りの改善と
いう、ほぼ経営全般にわたる改革テーマが出さ
れた。 今でいう経営再建と言えるかもしれない。
実際、コンサルティングを請け負った当初はい
つ倒産の連絡が入ってもおかしくない状態だっ
た。 私自身、A社から電話が入ると全身の毛穴
が開いたものだった。
経営再建の定石通り、A社は役員賞与、社員
給与のカット、銀行へのリスケジュールを断行
した。 資金繰りに困って、K社長の生命保険の
解約はもとより、しばしばサラ金から金を借り
ることもあった。 予断を許さない?月末〞が毎回のように訪れた。 しかし、K社長の不屈の精神と努力によって、
状況は徐々に改善していった。 ピーク時には年
商と同規模の四億円の借入れがあったが、今で
はそれも半分以下の一億八〇〇〇万円まで返済
が進んだ。 息子にバトンタッチする三年後には
借入金を残り一億円ぐらいまで減らしたいとK
社長はいう。
しかし、まだまだ安心はできない。 これまでの
A社の改革で最も大きな課題となったのは、K
社長の現場に対する過保護と幹部不在、そして
案件に対する消極的な姿勢であった。 K社長は
典型的な現場型である。 K社長に限らず、創業
社長というものは多かれ少なかれ現場型であり、
第22回
物流会社の経営が二極分化している。 環境変化に対応することなく、自社の
状況を直視できないまま沈み行く会社が増えている一方、物流業界の長年の課
題に果敢に挑み、成果を挙げる強い会社も生まれている。 経営トップの舵取り
が問われている。
生き残る会社、消えゆく会社
――物流会社四社の事例から考える
71 OCTOBER 2004
せの内容は、X社の運営する量販店センターに、
他の三拠点から納入する輸送業務の依頼であっ
た。 三拠点のうち二拠点は、四t車と一〇t車
を使った納品輸送で、納品一回当たり八〇〇〇
円という指し値が出されていた。 残る一拠点に
ついては貸し切りで見積りを提出して欲しいと
のことであった。
割りの良い仕事とは言えないが、その後の取
引拡大も見込める新規顧客からの正式な要請だ
った。 ところが、それに対して会議に出席した
A社のメンバーは、大型業務よりも「小口発送
の仕事が欲しい」、あるいは一回八〇〇〇円と指
し値を受けた「センター納品分の仕事が安い」
などと言い出した。
次のY社は、四t車の貸し切りを月六〇万円
から七〇万円で請け負って欲しいという話だっ
た。 今のご時世では割の良い仕事といえる。 と
ころが今度はK社長が「あの仕事はきつい。 ド
ライバーがもたない」と言い出した。
最後のZ社は、既存荷主の大手電機メーカー
である。 新たにバンニング(バン出し)の仕事
をもらったのであるが、担当のセンター長は「品
物が高価であるため、ミスに対するリスクも大
きい」などと不平不満を言い出した。
思えばA社はこの会議に限らず数年来、「荷主
が欲しい、仕事が欲しいので指導して下さい」と
私に言い続けてきたものの、いざ案件を目の前
にすると、対応できない理由を並べ立てる傾向
があった。
さらに、この会議の途中で「招かれざる客」が
来た。 燃料会社である。 約三〇分間にわたる会
議中断の末、K社長が戻ってきた。 「けんもほろ
それ自体は悪いことではない。
ただし現場型には、二つのタイプがある。 一
つは現場を熟知した上で、その力を最大限引き
出すために厳しく指示を出すタイプである。 そ
してもう一方が、現場をわかり過ぎるが故に現
場の苦労に共感し、ついつい甘やかしてしまう
タイプである。 K社長は後者であった。 そのこ
と自体は珍しくはないし、むしろメリットもある。
しかし、その場合には経営者をカバーする管理
職がいるかどうか問題になる。 いわゆる鬼軍曹
の存在である。
経営は「ボケ」と「ツッコミ」である。 そう
私は考えている。 社長が「ボケ」なら、?2は
「ツッコミ」、その反対もしかりである。 ホンダを
築き上げた本田宗一郎と藤沢武夫、ソニーの井
深大と盛田昭夫も、まさにそうした関係にあっ
たに違いない。 トップと?2の補完関係と明確
な役割分担が、強い経営基盤を創ると常々思っ
ている。
景気のせいにするな
ある日、K社長と幹部が集まっての会議があ
った。 この日のテーマは営業であった。 ダイレク
トメール営業で問合せのあったX社と、取引先
から紹介されたY社、そして既存荷主のZ社の
三社についての対応策を考える場であった。 売
り上げ拡大につながる前向きなテーマであり、私
は久しぶりの「大入り」を喜んでいた。 しかし
話し合いは、A社の先行きを不安視させる方向
で進んだ。
最初の議題、ダイレクトメールを見て問い合
わせをしてきたX社は酒卸であった。 問い合わ
ろに四円の値上げですわ」とK社長。 「物流会社
はこれからどうしたらよろしいんでしょう」と嘆
いた。
それを聞いて私は心の中で「嫌やったら辞め
なさい」と叫んだ。 原油高騰の情報など、既に
耳に入っているはずである。 他の地域では四円
どころか、六円〜七円の値上げ要求が来ている
ところもある。
確かに排ガス規制、スピードリミッター問題、
様々な許認可制度など、物流業界に対する社会
的規制の影響は大きい。 しかし条件は他社も同
じだ。 予測できる環境変化を正面から受け止め、
対策を練り出すのが経営である。 K社長には業
界特有の「被害者意識」が染みついていると言
わざるを得ない。
物流会社に求められる経営者のレベルは今や
大きく変わりつつある。 環境に適応し、いかな
る状況でもコスト低減を果たし、緻密な数値管
理能力とリスクに挑戦する優秀な経営者が物流
業には不可欠となっている。 そうでなければ、業
界から「退場」(レッドカード)を免れない時代
となった。
以下のようにA社の問題点は山積している。 こ
のまま放置したら大変なことになってしまうだ
ろう。
?経営者が現場に対して甘い
?幹部が危機感を持っていない
?社長以外、経営数値を理解できていない
?「おいしい」仕事を求め、「きびしい」仕事を
利益化する意欲、能力に欠ける。
ドライ
ー
と
を
OCTOBER 2004 72
のプライドであった。 余剰人員をリストラでき
ないのである。 そしてもう一つは父親である現
社長とM氏とで経営の役割分担ができていない
ことに起因していた。 現社長からM氏への権限
委譲も明確になっていなかった。 B社は名門の老舗企業としてのプライドが強
過ぎて、「弱者の戦略」を取れずにいるように私
には見受けられた。 一般に「強者」が「弱者」
の戦略を展開すれば、怖いもの知らずの強い会
社へと進化する可能性がある。 しかし、「弱者」
が「強者」の戦略を振り回しても空回りするだ
けだ。 自らを「弱者」と位置付ければ、「強者」
やその周囲から情報を収集することができるよ
うになる。 しかし「強者」と位置付ければ、自
らのやり方を正当化することに固執し、周囲の
情報を得ようとしなくなる。
かつてB社が強者であったのは事実だ。 しか
し今では売上大幅ダウンの弱者である。 そのこ
とが当事者達には分からないのであろうか。 い
や、分かっているのである。 頭では理解できて
いるのであるが、身体がそれを受け入れない。 行
動に反映させられないのである。 B社は物流業
界の変化や自社に対する評価を直視できない?
井の中の蛙〞であった。
その上、さらにやっかいなことがB社の社内
では行われていた。 次期社長になるM氏を先代
の古参組が執拗に持ち上げ、同時に外部との接
触をしきりにシャットアウトしようとしていた。
プリンスが余計な知恵を付けることで自分達の
身に不利に働くことを防ぐために、M氏を?裸
の王様〞に仕立て上げようとしたのである。 一
種の陰謀であった。 信じがたい世界である。
B社の問題点をまとめると以下の通りになる。
これまた放っておけない状態である。
生き残る企業の共通点
C社は、本誌二〇〇四年六月号のこのコーナ
ーで紹介した会社である(詳細は同号参照)。 そ
の後も快進撃を続け、右腕の退職という挫折を
乗り越え、着実に足場を固めている。 最大の荷主である大手住設メーカー向けの売り上げは横
這いながらも、直近の七月では昨年同月比一四
二%と大幅に事業規模を拡大させている。 以下
のような項目が好調の理由として挙げられる。
?DM営業で獲得した荷主から二カ月に一回の
割合でチャーターの増車依頼がきている。
?ドライバー名刺営業が浸透し、口コミ、紹介
による荷主数の増加。
?保管、流通加工への本格的対応
稼動車輌台数も三〇%増加した。 新規荷主が
安定するまで他の既存業務を傭車に託し、自社
車輌の購入を控えている。 堅実である。 S社長
老舗のプライドが足かせに
B社は関東圏では言わずと知れた名門物流会
社である。 小口配送、センター業務などを行っ
ており、バブル期には年商一〇〇億を超えてい
た。 当時は物流会社の勝ち組として常に名前が
挙がっていたが、好調は長くは続かなかった。 今
では経営不安の噂までささやかれるようになっ
て数年になる。
私は同社の次期社長が内定している創業者の
長男M氏とお付き合いしている。 この長男は腰
が低く、気配りを絶やさない?良い人〞である。
B社は現在、ピーク時と比較して売上高が四
〇%もダウンしている。 バブル期の不動産投資
による多額の借入れも残っている。 窮状を脱す
るために成長著しい同業者に出資の申し入れを
行った。 しかし結果は見事に断られた。
理由は?借入金が多額であること、?赤字で
あること、?社内改革を断行できないことの三
つであったという。 このうち?と?は、当たり
前とも言える理由であったが、?の社内改革を
断行できないという話が、私にはどうにも腑に
落ちなかった。
そんなある時、私はM氏から会食に誘われた。
話し合いの中で、同社が社内改革を断行できな
い理由が明らかになってきた。 一つは老舗企業
?次期社長のM氏には「継ぐ」のではなく、「継
がされる」という意識が強い。 先代社長も息
子以外の選択肢を考えていない。
?名門企業として今更、弱者の戦略をとること
ができない。 (プライドを捨てきれない)
?後継者に社内改革を行うリーダーシップがな
い。
?過去のブランドを捨て、再出発するだけの勇
気がない。
?評価の高いドライバーの品質と努力を会社が
活かしきれない
?能力のない息子を無理やり後継者にする
?過去の成功体験が抜けきれない。
73 OCTOBER 2004
は多くを語らない。 寡黙である。 しかし、「これ
だ!」と思った時の目の輝きには、胸に潜めた
闘志をいつも感じる。 C社の成長の秘訣をまと
めると以下のようになる。 これからもC社S社
長の前向きな経営を楽しみにしている。
勝ち組の物流子会社
D社は年商一〇〇億円規模の物流子会社であ
る。 親会社向け以外の業務比率、いわゆる外販
比率は現在約三五%。 全国に事業を展開し、物
流子会社としては珍しく自社トラックによる集
配を行っている。 ただし自社車両は一五〇台を
リミットとして、自社便と傭車を組み合わせて
ネットワークを構築している。 ロジスティクス・
ビジネス誌が毎年実施している「物流企業番付」
等でも、毎年上位に顔を出す優良企業である。
そんなD社は成長企業というより、強い企業
と言える。 その核になっているのが、T社長の
存在である。 T社長は他の物流子会社同様、親
会社から派遣された天下り社長である。 しかし、
いわゆる?雇われ社長〞ではなかった。 就任時
から子会社ならではの依存体質を敵視し、挑戦
的かつ大胆な施策を打ち出していた。
まず意識してワンマン経営を行った。 合議制
や総意経営などと生易しいことを言っていては、
子会社であるD社は依存体質から抜け出せない。
そう考えて自ら率先垂範し、嫌われ役に徹した。
同時に教育、人材育成面に注力した。 社員を
外部セミナーに数多く参加させると同時に、社
内研修を実施。 テーマ別研修、役職別研修も熱
心に行っている。 毎年度、経営利益の一%を教
育費に充てるという方針を立てている。 人材獲
得面でも子会社のプロパー(正社員)、親会社か
らの転籍に加えて、中途採用を積極的に行って
いる。
D社の強さの秘訣は以下のようにまとめられる。
生き残りのチェックポイント
言うまでもなく、ここに挙げたA社、B社は
このままでは消えゆくであろう会社、C社、D
社は生き残る会社として紹介した。 とはいえ今
時、安泰としていられる会社など、物流企業に
限らず一社とてない。 それでも生き残るための
努力をしている会社と、そうでない会社がある
のは事実である。 以下に生き残る物流会社の共
通点をまとめてみた。
さて皆さんの会社または取引先の物流会社は
どちらの会社に当てはまるだろうか。
あおき・しょういち
1964年生まれ。 京都
産業大学経済学部卒業。
大手運送業者のセールス
ドライバーを経て、89年
に船井総合研究所入社。
物流開発チーム・トラッ
クチームチーフを務める。
96年、独立。 日本ロジフ
ァクトリーを設立し代表
に就任。 現在に至る。
?サービス業として物流業を営んでいる
?営業案件は先ず受ける。 業務を行いながら採
算を合わせていく。
(創業以来、ギブアップした荷主はまだゼロ)
?「これは面白い」と思ったことは先ずやって
みる
?人の話をよく聞き、素直な気持ちで物事を判
断する
?教育は初めが重要。 ドライバーは入社日から
パソコンで日報作成。
?親会社から派遣されたトップが、子会社体質
打破の為に敢えてワンマン経営を推進した
?教育費を予算化し、継続している。
?人材を外部にも求め中途入社組が活躍してい
る。
トップが素直で最も前向きである。
年商一〇〇億クラスまではワンマン経営の方
が強い。
トップが強いリーダーシップを持って組織を
引っ張っている。
他社が嫌がる仕事、できなかった仕事が自社
に回ってくるという自覚がある。
人材育成は採用時に七〇%が決まり、残り三
〇%を継続した教育で育成している。
後継者の決定は親族ありきではない。
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