ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2003年3号
特集
イオンの流通改革 欧米ではない。経験から3PLを学んだ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

MARCH 2003 14 「欧米ではない。
経験から3PLを学んだ」 日立物流に初めてプロパー社長が登場する。
同社の3PL事業を 牽引してきた山本博巳専務だ。
イオンの3PLでも、氏はキーマン として活動してきた。
動き始めたイオン向け事業の成算と、独自 に積み上げてきた日本型3PLのノウハウについて聞いた。
日立物流山本博巳 専務(4月1日に新社長就任予定) ――日立物流はイオンの3PLプロバイダーとして全 国八カ所の拠点を担うことになりました。
イオン向け 案件の総投資額はどれくらいになるのでしょうか。
「リースなども入れると、かなりの金額になります。
ただし、詳細は公表していません」 ――イオンは当初、プロバイダーに総額八九〇億円を 投資してもらうと言っていました。
拠点の規模などを 考えると、かなりの部分が御社の投資なのでは? 「それは、その通りです。
実際、この二月に稼働し た『イオン関西NDC』(京都府大山崎町)でも建物 に七〇億円、設備に三〇億円と合計一〇〇億円の投 資をしています。
ただイオンさんが最初に言っておら れた八九〇億円というのは、我々があの土地で運営し ていた自動車学校を止めて、そこを関西NDCに利 用するというところまで入れた数字です。
そういう基 準でみていくと、当社の投資額も相当な金額になると いうことです」 ――御社は二〇〇二年三月期からの三カ年で約三六 〇億円を投資する計画でした。
このなかにイオン向け はどれくらい含まれているのでしょう。
「そこに含まれているのは一二〇億円だけです。
三 年間で三六〇億円というのは、キャッシュフローベー スで算出した金額です。
ですから『イオン関西ND C』への投資についても、建物の七〇億円はそこに入 っていますが、設備費の三〇億円はリースのため、そ こには含まれていません」 ――計画通り二〇〇四年度までに全国八カ所の施設 すべてが稼働したら、二〇〇五年度のイオン向け3P L事業の売上規模はどれくらいになるのでしょうか。
「約二〇〇億円を見込んでいます」 ――仮にイオンのスケジュールが狂ったら、御社の売 上見込みも大きな影響を受けますね。
「我々が売り上げ計画を作るときには、その辺りは きちんと読んでいます。
言われた通りにやるのが経営 ではありません。
ですから、この数字についてイオン さんがなんて仰るかは、また別の話です」 得意な業務以外は手を出さない ――二〇〇五年以降、イオンの物流業務の焦点は周 辺業務や国際業務にシフトしていくはずです。
日立物 流としては、どのような分野を営業ターゲットとして 想定しているのでしょう。
「一つは中国や東南アジアから商品を輸入するとい う業務があります。
イオンさんのNDCが関西にある ため、海外から輸入する商品は大阪港に揚げるパター ンが多くなります。
実際、当社の子会社の日新運輸が すでに手掛けている中国からの輸入業務でも、ほとん どは大阪港で揚げています」 ――昨年十二月の郵船航空サービスとのアライアンス の締結も、その辺りを意識していたのですか。
「それは関係ありません。
はっきり言って中国につ いては、我々の方が郵船航空サービスより強い。
上海 航空との提携などいろいろなネットワークがあるし、 本当に免許を持ってやっているのは当社の方です。
そ れと我々が中国から持ってくる場合は船便が多い。
中 国からの船便については、日新運輸は日本でも一番と 言ってもいいくらいの規模でやっている会社です」 「そもそも現状では中国で一級ライセンスを持って いる日本のフォワーダーはほとんどいません。
これは 提携する現地のフォワーダーの問題なんですが、日本 の物流業者は商社と組んでいるケースが多い。
中国元 しか動かさないのではなく、外貨に換金していろいろ と使おうとすると中国でいう運送屋と組むだけではな かなか難しいためです。
しかし、そうすると物流のラ Interview 15 MARCH 2003 特集1 イセンスは持っていないということになってしまう」 ――イオン向け案件のなかでは、ニチレイや日本水産 といった温度帯の異なる3PLプロバイダーとの関係 はどうなっているのでしょうか。
「ニチレイさんとは親戚みたいなものです。
頻繁に 情報交換をしていますよ」 ――ただ現状では、温度帯をまたいでやっている仕事 はほとんどありません。
「基本的に私どもは生鮮品に強いわけではありませ ん。
ましてやPC(プロセスセンター)での食材の加 工を手掛けるつもりなど全然ない。
物流センターを作 ることはあるかもしれませんが、自分たちのノウハウ のない部分には絶対に突っ込んではいけないと私は言 っています。
ですから当社はPCは一切やらない。
こ れが我々の能力です」 ――定温物流センターの運営業務は? 「それはクロスドックでも在庫型でも、どんどんやっ ていきます。
実際、雪印アクセスさんとか、うどんの シマダヤさんなどの仕事をすでに手掛けています」 ――日立物流とニチレイが組めば、流通から発生する 物流業務を丸受けできるように見えます。
「結果的にそういう形態になったのが、イオンさん の四国の拠点です。
あそこはニチレイさんが建物を立 てて生鮮品のPCを運営しています。
だが生鮮品では ない常温品については、我々がやっている。
生鮮品の 建物の横にニチレイさんが常温品のターミナルも作り、 ここの運営を当社がやっているのです」 ―― そうやってイオン向け事業でノウハウを蓄積して いくと、他の流通業者の仕事を担う実力がついてきま す。
イオンとの契約のなかで、例えばイトーヨーカ堂 はやってはいけないといった縛りはあるのですか。
「当社は現在でも、イトーヨーカ堂さんのゴミ箱だ とか、店頭に並べるショーケースなど総務から出る仕 事は手掛けています。
でも商品にかかわる物流はやり ません。
現段階ではイオン、ヨーカ堂、西友・ウォル マート連合という日本の小売業界の三強のなかで、イ オンさん以外の業務をやるつもりはありません」 システム物流が生まれた経緯 ――少し古い話を聞きたいのですが、山本専務は「シ ステム物流」(一般的には3PL)の産みの親であり、 育ての親でもある。
この事業の原型として八五年に 「トライネット」を立ち上げています。
このときの経緯 を改めて教えてください。
「その点については図を使って説明した方がいいで しょう(図1)。
まず一九六〇年代までの当社は、日 立製作所から『これを運んでください』とか『この製 品の包装をお願いします』といった依頼を受けて仕事 をしていました。
いわば作業者の立場です。
これが七 〇年代になると『一貫元請の推進』に取り組むことになった。
当時、日立製作所のなかにあった『運輸課』 などのセクションを、すべて当社に持ってきて日立製 作所には物流関係の部門が一切ないという状態にして しまったんです。
そして『物流戦略の立案』や『生 産・販売と連動した情報システムの構築』などの業務 を、すべてアウトソーシングしてもらった。
このとき の経験がシステム物流の基盤になっています」 「こうして日立製作所からの一貫元請を進める一方 で、七五年くらいから、日立グループ以外の仕事(一 般)もやっていこうという気運が社内に出てきました。
ところが、いざ一般を始めてみると『単発受注』ばか りだった。
単純な輸送業務だとか、工場の移転引っ越 しなどの仕事です」 「こうした単発仕事を苦労して受注しても、その仕 '50 '50 '50 '60 '70 '80 '85 '90 '95 '00'01'02 '67 '70年代 '81 '85 '87 '89'90 '99 '02 日東運輸として創業 一貫元請推進 モノレール部門分離独立 日立物流に社名変更 プラザ合意 東証第2部上場 一般受注拡大 「25作戦」スタート 東証第1部指定 バブル崩壊 平成不況 福山通運と提携 郵船航空と提携 東京モノレール売却 2000 1000 東京モノレールを合併 創業期 基盤 整備期 成長期 充 実 期 高度成長期 (9.6%) 安定成長期(4.5%) 低成長期(1.4%:長期低迷時代) 変 革 期 図2 日立物流の歩み 図1 営業戦略と3PL 日立グループ 一般顧客 '60 '70 '75 '80 '85 '90 '95 '00 一貫元請の推進 (ハード+ソフト) 輸出を 主体とする 一貫輸送 生産の海外シフト (国内空洞化) 海外拠点の設置・拡大 輸送・保管・包装 (単体事業の拡大) 単発受注 ・輸送 ・移転引越 ・機工作業 ・物流戦略の立案 ・生産・販売と連動した情報システム ・物流拠点の投資と技術の開発 ・輸送品質への管理能力と責任 完全アウトソーシング によるノウハウ蓄積 グローバルシステム システム受注 3PLへ システム商品 の開発 事が終るとまた別の受注活動をしなければならない。
だから、どうしても売り上げが伸びなかった。
何か別 に考えなければ一般の業績は伸びない。
そう考えて八 五年に『トライネット』、今でいうところのシステム 受注をスタートしたんです」 ――そのとき山本専務は経営企画室長でしたね。
「当時、私が所属していた経営企画室という部署は、 会社全体のあり方がどうのということも手掛けていま したが、新商品を考えたり、海外展開をどうするかと いうことについても、かなりのスタッフを抱えてやっ ていたんです。
その中で『一般向けの一貫元請け』と いう新しい考え方が生まれてきました」 「そんなときに営業部門が、ある会社の仕事を獲っ てきたんです。
この仕事を手掛けるためには新たな物 流センターを手当する必要があった。
しかし、社内の 意見は『誰がそんなものに投資をするの? バカじゃ ないか』というのが大勢だった。
このときに私と、私 の上司で後に副社長になった方が『よっしゃ』と言っ て、埼玉に物流センターを借り、その仕事を受けたん です。
これがシステム受注の第一号です」 ――御社は「トライネット」を保管、配送、情報の三 機能を包括的に組み合わせたサービスと位置づけてき ました。
この発想はどこから出てきたのでしょう。
「個人的な話をすると、私は七〇年に情報システム 部門の課長になりました。
ITをどういう風に使うか を考える立場だったんですが、この頃から私は『生 産・販売と連動した情報システム』の構築に取り組ん できたんです。
情報部門は単に事務の合理化をする部 署ではない、営業に使うシステムを構築すべきだ、お 客様が営業に使っているようなシステムを合理化しな なければいけない。
そう考えて実際に受発注システム のオンライン化にも取り組みました」 「しかし結局、当社にとって一番大きかったのは、日 立製作所の仕事の一貫元請をして全体をコントロール していたという経験です。
このノウハウを活かして何 か商売をできないかと考えた末に出てきたのが、『ト ライネット』であり、システム受注だったんです」 経験から学ぶしかなかった ――今でこそ主力事業に育ったシステム物流ですが、 かなり高い授業料も払ってきたようですね。
当初は何 に苦労して、それをどう改善したことで儲かるように なったのでしょうか。
「何よりも最初の頃は、お客様のことをよく知りま せんでした。
だから契約ひとつとっても下手で、例え ば固定化して収受すべきコストなのか、変動させるべ きコストなのかすら、きちんと判断できなかった。
現 場の経験も不足していました。
現場で利益を出すため には、業務量に応じて作業員や車両の数をいかに変動 させるかがカギなのですが、最初は不安だからバーン と入れてしまう。
そうすると、だいたい多めになって 効率が悪化してしまい、採算が合わなくなる」 「当初の見込みと実際の作業内容が違ってしまうケ ースも少なくありませんでした。
ある企業の仕事をし たときには、全物量のうちピースピッキングが三割と 想定して契約を交わしました。
ところが一年も経たな いうちにピースが七割、ケースが三割と完全に逆転し てしまった。
全然、作業量が違ってきてしまった」 「ようするに当時の我々には、こういう問題が発生 するだろうというところまで考える力が不足していた んです。
経験が足りなかったため、将来の変化を読め なかった。
だから現状分析の結果だけをみて最適なシ ステムを組んでいました。
このため状況が変化してし まうと、簡単に利益が出なくなってしまった。
ここは 3,000 2,500 2,000 1,500 1,000 500 0 2,500 2,000 1,500 1,000 500 0 (億円/年) (億円/年) 連 結 個 別 2,575 391 15% 506 20% 1,675 65% 2,560 320 12% 981 816 165 1,935 1,396 539 114 666 777 1,969 868 1,101 1,960 800 1,160 6% 34% 40% 赤字数値は構成比(%)   はロジスティクスソリューション事業(3PL) 赤字数値は構成比(%) '01 '02(予想) '80 '85 '90 '01 '02(予想) 510 20% 1,730 68% その他事業 日立グループ 一般顧客 国際物流事業 国内物流事業 スタート 図3 2001年度の事業構成 MARCH 2003 16 17 MARCH 2003 経験を積むしかないんです」 ――欧米の3PLもそうしたノウハウの蓄積には一番、 苦労してきたようです。
「もちろん多くの経験を積んだことで、今はほとん ど間違いなくできるようになっています。
いろいろな 業種のなかで、作業の原単位を把握できていることも 大きい。
例えば、値札を付ける作業が常識的に一分 間でどれくらいできるかを我々は経験的に知っていま す。
いわばABC(活動基準原価計算)と同じです」 「だからこそ見積もりを提出する段階から、原価を はじきコストをきちんと把握している。
お客様にも理 詰めで説得できる。
そういうノウハウが、いろいろな 業種について完成していますから、最近ではかつての ような失敗はほとんどありません」 ――御社がやっていることは、まさに欧米流の3PL です。
ここに至るまでに欧米の事例を参考にしてきた ことはありますか? 「海外の研究などしてませんよ。
たまに本くらいは 読むけど、それを真似ようなんて思ったことはありま せん。
それが当たり前だと思ったからしてきただけで す。
恐らく経験的に積み上げてきた結果、同じような ものになったのでしょう」 「ただね、九九年にアディダスという外資系企業の 仕事をやったことは大きかった。
彼らは契約から何か らもの凄く細かいし、誤差率からペナルティのルール まで徹底的に決めます。
契約書が電話帳のような厚さ になりましたからね。
このとき欧米のビジネスマンと やりとりをしたことは、非常に勉強になりました」 ――それまで独自に積み上げてきたものが、アディダ スの一件で試されたわけですね。
「アディダスをスタートしたとき、当社のシステム物 流のレベルはまだまだ一〇〇%ではありませんでした。
しかも突然、受けたこともあって最初は大混乱してし まった。
当社が手掛ける以前、アディダスの物流はデ サントがやっていたのですが、彼らは喧嘩別れをして います。
だからデサントが怒ってしまい、我々にまっ たく現場を見せてくれなかった。
いわば机上で考えた システムを組むしかなかった。
これが混乱した原因の 一つです」 「しかも当初の予定では、デサントにあったアディ ダスの在庫を持ってくるはずだったのに、デサントは すべて自分たちで売ってしまった。
それで我々の物流 センターには、いきなりコンテナ何百本という新製品 がドーンと入ってきた。
製品を作っているのは中国が 中心ですから、すべて検品や検針をしなければいけな い。
これは大変でした。
だからスタートした当初は、 まるで想定していなかった業務内容になってしまった。
軌道に乗るまでに一年くらいかかりました」 ――そういう場合、アディダスのような欧米の荷主は 想定外のコストを負担してくれるのですか。
「そりゃあ、もらいますよ。
お互いに納得できるよう にパートナーシップでやろうと、本当に握手までしま したからね。
だからこそ我々も裸のコストを提示した し、彼らも我々に対して売れ筋商品から何からすべて の情報を開示してくれた。
アディダスの営業戦略会議 にまで我々は出席しましたからね。
日本企業でここま でやるケースはありません」 「こうした経験があるからこそ、今回のイオンの件 も互いにオープンでやっています。
僕はハッキリした 性格ですからね。
そういう条件ではできないと、お客 様にもハッキリと言う。
言い過ぎたら嫌われんじゃな いかなどと思ってたら、3PLなど絶対にできません。
従来の日本式の手のひらに乗るような営業をしていて 3PLをやっても、互いに不幸になるだけです」 特集1 (やまもと・ひろみ)1940年山口県 生まれ、62年山口大学経済学部卒、 同年日立物流入社、82年情報管理部 長、84年経営企画室長、89年サン ライズエアカーゴ社長、94年取締役 国際営業本部副本部長、96年常務取 締役首都圏南営業本部長、98年専務 取締役営業開発本部長、2000年専 務取締役ロジスティクスソリューショ ン統括本部長、2003年4月代表取締 役社長(就任予定) 図4 物流市場の潮流と日立物流の戦略 顧客ニーズの変化に伴う物流の新しい潮流 当社の経営戦略 小口貨物 輸送の増大 福山通運 との提携 経営資源の集中 郵船航空サービス との提携 ソリューション ビジネス(3PL) の拡大 グローバル事業 の展開

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