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佐高信
経済評論家
51 DECEMBER 2003
『週刊文春』の十一月六日号が「小泉首相
『非礼』の研究」をやっている。 中で、作家で
精神科医のなだいなだの意見に着目した。 イ
ンターネットで?老人党〞を立ち上げ、話題
を呼んだなだは、七三歳定年制を楯に中曽根
康弘に引退を勧告した小泉に怒り、七三歳で
首相になって西ドイツの復興をなしとげたア
デナウアーの例などを挙げながら、五年ほど
前、小泉にこんな進言をしたことを思い出す。
アルコール中毒者関係の会合でだった。
「この病気はアルコールが原因なので、健康
保険ではなく、酒税で治療すべきだ。 同様に、
アルコールが原因の肝硬変や、タバコが原因
の肺ガンの治療は、それぞれ酒税とタバコ税
で負担すべきだと勧めたんです。 すると、小
泉さんは、『酒税やタバコ税を使うだなんて、
大蔵省が言うことを聞きません』と聞く耳を
持たなかった。 この時から、私は小泉さんは
ダメだと思っていました」
小泉がいかに大蔵省(現財務省)に弱いか
を示して余りある証言だろう。 小泉は大蔵省
にノーと言われることをまったくやっていな
い。 それどころか、事務次官を三年もつとめ
た武藤敏郎を日本銀行副総裁にしたことでわ
かるように、大蔵省の言うがままである。
私は一九九六年に『大蔵省分割論』(光文社)
を書き、財政と金融の分離が必要であると主
張した。 いわゆる住専問題で銀行の不始末を
「公的資金」という名の税金を使って穴埋めしたのは、財政と金融の両方を大蔵省が握って
いるからであり、それを分けなければならな
いと強調したのである。 しかし、大蔵官僚は
重要な天下り先の銀行(生損保等も含む金融
部門)を切り離されてはたまらないと政治家
に圧力をかけて抵抗した。
大体、政治家は予算をつけてもらうなどと
いう感覚をもち、税務調査を恐れることもあ
って、極めて大蔵省に弱い。 敢えて大蔵省に
異議を申し立てる政治家は本当に数えるほど
しかいないのだが、この時の大蔵省のねばり
も相当のものだった。
しかし、「ノーパンしゃぶしゃぶ」等のハレ
ンチなスキャンダルが発覚したこともあって、
遂に財政と金融は分離され、金融庁が発足す
ることになったのである。
このスキャンダルで一度降格された武藤が
日銀副総裁になったことは、この分離をくつ
がえすような意味を持っている。 日銀の独立
性を高め、大蔵省とその背後の政治家から介
入されることを防ぐ仕組みがスタートした直
後に、それをないがしろにする人事を小泉は
やったのである。 いかに小泉が大蔵省の言いな
りの政治家かを示す以外の何物でもあるまい。
細川(護煕)内閣で突如浮上して消えた国
民福祉税構想があった。 このときは官房長官
の武村正義さえ知らず、大蔵省でも主税局は
知らされていなかったといわれたが、これを
進めたのは政権の立役者の小沢一郎と当時の
次官の斎藤次郎だった。 「一郎、次郎コンビ」
が国民無視のこの構想を強行しようとしたの
である。 このとき、大蔵省のドンだった斎藤
は「大蔵省と対立して生き残った内閣はない」
と豪語したといわれる。 その思い上がりが、
この構想のゴリ押しの背景にあった。
大蔵省に弱いという点では、小沢一郎と小
泉純一郎は同類である。 その小泉が官僚政治
の改革者であるかのような幻想を、メディア
は国民に与えている。
大蔵省の歴史は、ある意味でスキャンダル
の歴史である。 かつて、主計局の運輸省担当
主計官補佐などが繰り返し接待を受け、当時
の次官、長岡実や官房長の松下康雄が戒告処
分となったことがあったが、その後、長岡は
東京証券取引所理事長となり、松下は民間銀
行の頭取を経て日銀総裁に栄進した。
小泉がいかに大蔵省に弱いか、そして、武
藤の日銀副総裁就任が財政と金融の分離をい
かにないがしろにするものかを厳しく指摘す
る視点は、いまのメディアにはない。
大蔵省分割をないがしろにする小泉首相を
官僚支配の改革者と持ち上げるメディア
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